MOZART VIRUS DAY
作詞・飛鳥涼 作曲・CHAGE&ASKA
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【モチーフ】モーツァルト霊の降臨
【テーマ】芸術の女神
まず、英語のお勉強から。タイトルを翻訳するならば「モーツァルト・ウィルスの日」。私的意訳では「モーツァルトが繁殖した夜」(歌詞の内容から言ってタイトルはDAYよりもNIGHTが正しいんだろうけど、語感からDAYにしたのではないだろうか)。
ASKAの中では、モーツァルトがメロディメーカーの象徴らしい。88年の名曲『ENERGY』でも「今日もメロディ進まない モーツァルトならどう書くの」というフレイズがある。たしかにモーツァルトほどポピュラーなメロディをたくさん書いた人はいない。「この曲聴いたことある!」率の圧倒的な高さは他の追随を許さない。ベスト盤なんかを聴くとビックリする。「これもモーツァルトだったんだ」。ビートルズにもそれは多いが、モーツァルトには及ばない。
身体に宿りかける 何かに逢う 誰かに逢う
この曲では、そんなモーツァルトの偉大な霊が乗り移り、つまり作曲の神が降臨し、曲を仕上げる様子が描かれているのである。ウィルスが繁殖するように、作曲の神が自分を占拠するというわけだ。
さて、この曲は三つの場面設定がある。
①作曲風景
朝も夜も変わらない同じ口調のアナウンサー(=作曲で夜を明かした姿を連想させる)
ピアノを打つ
紙の上の金魚のようなメロディ(=♫音符のこと)
②作曲の神の降臨
身体に宿りかける
触れそうだよ 届きそうだよ
僕の言葉に変えて 愛と言う 君と言う(=インスピレーションを詞に変換する)
そして大事なのが
③女
こんな日はキスもうまいよ
アクセサリーの顔でおいで(=おれの体にからみついてこい的な??)
右手で君を抱いて
この曲のミソは③にある。モーツァルト云々だけではなく、性的な官能の世界まで描かれているのだ。凡百の詩人ならば神々との感応だけで詩を終えてしまうだろう。しかしASKAはそんな野暮をしない。なんと神話にエロを挿入したのだ。
もちろんそこには超一流の芸術的感性がこめられている。古来芸術の神は女神とされた。ミューズしかり、弁財天しかり。これはどういうことかというと、創作活動と性的な情愛は同じ心象風景を作るということなのだ。芸術作品をうまく作り上げたことがある人なら分かると思うが、そのときの心情は、女を落としたときの達成感とソックリである。誇らしさだったり、ワクワクだったり・・・ 神秘主義者はこの同じ心象風景をひとつの観念に統合し、芸術=女神と表現してきたのだ。横尾忠則は「創作はミューズとのセックス」と長年に渡って言い続けている。ASKAの中でも作曲の高揚感と女と過ごす高揚感が一緒くたになっていたのだと、私は解釈したい。
君を鳴らす
これにはふたつの意味がある。
1、女が喘ぐ様子
2、作曲の神が命ずるままに、メロディ(=君)を紡ぐ
和音の響きで君を呼ぶよ
1、音楽を聴かせるように、女を陶酔させる
2、作曲の神を降ろす(古今東西を問わず、神は音楽によって降ろされる。笛、琴、ダンスなど。神霊の波動は音波と同じ粒子でできている)
触れそうだよ 届きそうだよ みんなの大好きなこと
一番ヘンテコなこのフレイズ。みんなの大好きなことって言ったら当然エロなんだろうけど、それをここで言うということはやはり、エクスタシーと作曲の高揚感を同一視しているということだろう。メロディが生まれ出る瞬間と、エクスタシーの瞬間。
ちなみにこの曲の作曲は共作で、ボーカルの多くの部分をCHAGEが歌っている。で、エロいとこだけASKAが歌う(笑い)。素晴らしい構成。
最後のMOZART VIRUS DAYを四回唱える部分で私は鳥肌を立ててしまうが、このパートはCHAGEの作曲じゃないかな?マニアックなメロディを書かせるとCHAGEは本当にすごいから。
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