ASKA 非公式ファンサイト

『21世紀』

初期チャゲアスを語るのは容易ではない。なにせ粗削りすぎて、誉めるべき点よりも、けなすポイントのほうが多くなってしまう。チャゲ曲がイタすぎるとか、山里剛のフォーク路線プロデュースは的外れだとか。ステージ衣装も謎すぎて、正直映像は正視に耐えない。

初期チャゲアスで私が賞賛したいのは、やはりASKAの才能である。アルバムを聞けばわかるけれど、ASKAの作曲能力と声は、初めから完成している。シングルの知られた曲だけでなく、アルバム曲の中にも胸が締めつけられるような名曲が、たくさん残されている。詩の面ではまだまだ、普遍性を感じさせるには至らないのだが。

 

初期チャゲアスが迷走に迷走を重ねたことは、当時からのファンならずとも、アルバムを通して聴いた人なら知っているだろう。1st『風舞』と2nd『熱風』はフォーク。3rd『黄昏の騎士』は形容不能。謎のジプシー音楽とでも言っておくか・・・ そして4作目の『21世紀』はなんと、教会音楽!!!

教会というのはもちろん、キリスト教のアレ。チャゲアスの4作目は別次元に突入した。教会っぽいとかそんなレベルではない。本当にパイプオルガンや聖歌隊を使った教会音楽なのだ。アルバムの最初「自由」と最後の「O Domine」はまさにそれ。ラテン語で「主よ。憐れみたまえ」と言った歌詞のコーラスが入ってくる。

しかし、それはいいのだ。そこを貶すつもりはない。何がいけないかと言えば、そのような荘厳な曲の間に、チャゲの能天気なポップスが入ること。

↑の曲はまだましだが、荘厳な一曲目のあといきなり『眠ったハートに火をつけて』というノリノリのナンバーになり、サビが「♪その顔その胸その体 OH LADY はじめよう 君の心のジャンヌダルクへ」。バカすぎて笑える歌詞は、逆に必読かもしれない。→ http://www.kasi-time.com/item-26797.html

このアルバムは初期チャゲアスの悪い面がフルスロットルで発揮されている。それを一言で言うと「飛鳥が頑張ってるのに、それをチャゲが台無しにする」。煎じつめて言うならば、チャゲと飛鳥を取りまとめないプロデューサーの不手際ではないだろうか。このアルバムの統一性のなさを解消するには、ふたつの方法があったはずだ。①ASKAの教会音楽を抜く②チャゲに教会音楽を書かせる(笑い)

教会音楽というのは当たり前だが決して売れ線ではない。でもチャゲアス史の流れから言うと、ASKAはデビューの時からすでに、ヒットを狙って曲を書くというスレた男だったのだ。それが奇妙な形とは言え明確に自己主張を始めた。エポックだったわけだ。私には教会音楽と能天気なチャゲ曲を同居させる神経が信じられない。私はひたすら、ASKAの新しい自己主張を賞賛したい。実際このアルバムのASKA曲はめちゃくちゃ良い。

衣装には目をつぶろう。目をつぶって声だけを聴いてみてほしい。この極上のハーモニーと神秘的な世界観。私は初めて聴いたとき、とにかくASKAは天才すぎると思った。

「不思議な夢だった。起きた時にすごく悲しい気持ちになっててね。もう一度、どんな夢だったか思い返してみたよ。戦争の夢で、ごうごうと火が燃え盛っていて、そこを黒人や白人や日本人が逃げまどっている。どうやら人種というものがない国で、僕は倒れた黒人を抱き起こしながら走ってる。それで防空壕のようなところに隠れるんだ。ノストラダムスの本を読んでいたせいかもしれないけど、世界が終わるような地響きがしてね。ああ、こんな時代は絶対に来て欲しくない。本当に戦争は嫌だなと思ってね。それで21世紀に対する不安と、逆に希望を持ちたいという思いが頭の中にこみ上げてきたんだ」(『十年の複雑』八曜社・刊より)

後年の『君が愛を語れ』にも通じる、高遠な愛の観念がすでにここにある。他にも『不思議の国』も身悶えするくらい名曲だ。

 

私がこのアルバムに愛着を感じるのには、理由がある。このアルバムからはASKAの精神世界の遍歴のはじまりが感じられるからだ。私がホームページ開設当初から力説している通り、ASKAはとても神秘的な思想を持っていて、作品を味わうにはその世界観を知っておくべきなのだ。手を替え品を替え、ASKAは作品の中に神秘性を潜ませてくるのだが、一般的にはそれが見えないように工夫されている。独特の隠喩などで。

ただこの『21世紀』の頃におそらく何らかの神秘的な体験が、初めてあったのだろう。それを歌に取り込もうとしたのだと思う。その試みの手始めだから、表現がキのままでストレートなのだ。私はこれをとても貴重な資料だと思って、ありがたく聴いている。

石原信一『飛鳥涼論 〜けれど空は青』では、82年頃からASKAは瞑想を始めたとされる(21世紀は83年発表)。毎晩行なわれるそれでは、世界平和を祈ることもあったという。そして7年後、幽体離脱中にマリアを幻視するという神秘体験につながっていく(PRIDEのモチーフ)。ASKAの活動にも直接影響を及ぼすような意味が、そこにはあるのだ。

そして、ちょっとマニアックだが、私はそれがキリスト教だったことに新鮮な驚きを覚えている。アーティストの世界では一般的に、神道や気功など、東洋の神秘主義がもてはやされる傾向がある。イギリスで生まれた一大潮流の神智学でさえも、インド哲学を下敷きにしているし。キリスト教・・・?私には何が何だか分からない。誰か導師とも言える人物にめぐり合って、その人が牧師だったのか?そんな程度の想像しかできていない。

例の〈桜上水の恋人〉と別れたのもおそらく80年代前半だろうし、この頃のASKAは本当に色々体験させられたんじゃなかろうか。そういう体験がすべて、後年の天下獲りに結実していくと思えば、ロマンチックだろう。

 

 

‹‹一覧に戻る