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やるせない疑問(2016.7.22)

上記ASKAのブログに大量の散文詩が掲載されている。2016年7月24日時点で私が最も気に入っているのは「やるせない疑問」。読んでいると<ASKA節>というワードが脳裏に浮かんできた。

ASKA節というのは要するに、読めば一発でASKAの詞だと分かるようなフレイズのことだ。一般的なASKA節のイメージは、他項でも何度も指摘しているように<意味不明>である。ASKAの詞はわけがわからない。しかもそれは陽水のようなシュール系の意味不明さではなく、ガチで意味不明なのである。けっしてオシャレではない。

さて、思いっきりけなしているようだが、もちろんそうではない。なぜだか、ASKAが意味不明な詞を歌うと、最高にかっこいいのである。このあたりの機微は今回のブログの「ラブラブショー」の記事でも語っている。

「メロディと歌詞がしっくりくるまで何度も歌う/それがみんなのもとへ届いても/実のところまだ完成ではない/いつの日かやって来る共有空間/みんなの前でそれを歌ったときに/やっと歌は完成する/僕とオーディエンスのラブラブショー」

つまり、歌はライブで歌って初めて感動が生まれると言っているようである。これはファンなら何度も経験したことだろう。アルバムを聴いていても「これはしょぼいなぁ」という曲は当然ある。しかしいざコンサート会場に足を運んで生でその歌を聴いてみると、猛烈に感動するのだ。私は他のミュージシャンでこのような経験をしたことはない(そもそもCD音源を超える演奏を見せてくれる人すら少数派である)。

意味不明な詞に命が吹きこまれるのだ。「魂で歌っている」というようなコメントがよくYoutubeに書かれているけれども、まさしくそれ。意味不明な詞に命を吹き込んでいるのである。ファンなら絶対に「ラブラブショー」を経験しているはずである。

 

さてこの「やるせない疑問」で一番かっこいいのが冒頭。

「美しい炎のようになった花が散るとき/花は寂しそうな煙を残すのだろうか/それとも燃える夕焼け色の実を結ぶのだろうか/花の名は知らない/秋はすぐそこまで来ている/月は昇らずして空は明るい」

「炎になった花」?枯れそうな花のことだろうか?

「花は煙を残す」???

「夕焼け色の実」?????

「月は昇らずして空は明るい」???????

すばらしい。これぞASKA節である。花や炎など自然物を多用しているあたりが、往年のASKAにはあまり見られない作風とも思う。そしてこれ。

「花の名は知らない」

こういう否定形がかっこいいのだ。「動きたくない体を」みたいな。

 

そしてこの抽象的な冒頭から、わりとイメージしやすい具体的な人生論?のパートに入っていく。そこではかつての曲にも表れてきたモチーフが浮かんでいる。

「季節のたびに名前の変わる風のよう/新しいことをやる度に僕は変化した/ひとつのところに居続ける事が好きではないのだろう」

→NEVER END「もういつか僕は変わり続けることでしか/生きてゆくことができなくなってる」

 

「自転車」

→水の部屋、On Your Markなど

 

「路地の向こう側にはいつもロマンがある」

→心に花の咲く方へ「いつも気になっていたあの角の向こう」

 

「子供の頃何になりたかったのか」

→GUYS「限りないもの流れゆくもの/子どもの頃に決めたこと/ベッドの中で決めたこと」

 

 

反対に、これまでのASKAにはなかったようなフレイズも。

「ゆっくりとした時間の中で平凡に生きる大切さを/なんとなく分かりかけている」

これは仏教や神道にも通じる東洋的な境地である。興奮や狂乱に価値を見出すのではなく、今眼前にある事物が最強の奇跡であると思い至ること。

「予期せぬ出来事で胸の痛みを覚えたときに/大事な人が見極められるようになった」

人を見極めるっていうのも、リアルだ。今回のブログの散文詩ではリアリズムを追求しているようである。

 

 

さて、一番肝心なところ。タイトルの「やるせない疑問」とはいったい何なのか?

「目の前に現れる小さな疑問が姿を消すことは永遠にない/死がなんであるのかが分からないよう最後までつづいて行くだろう」

これはいかようにでも取れるように書いてある。命や人生といった重いテーマかもしれないし、友人や恋人の裏切りといった卑小なテーマかもしれない。それは我々読み手にゆだねてある。

結局一番大事なところが意味不明、というASKA節なのであった。お見事。

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