同じ時代を
作詞・作曲 飛鳥涼 (’98)
誰かの肩に当たらぬようにギターを持つ 流れる景色が落ち着いてドアが開く
吹き込むような風をわけて 降り立った街 あのころがもうすっかりと懐かしい
どうしたって過ぎて行く 時の中さ 止まっても運ばれ行く 時の中さ
いつの日か 君や僕を 誰も知らない時が来る
僕たちが昔の人たちを知らないように
滴が落ちるような時間で 僕らは生まれ合った
幸せだとか悲しみだとか分け合いながら
同じ時代を歩いて行く僕たちさ 物語をつなで行く僕たちさ
君を愛し続けたすべてを 明日の方へ送りたい
いつか遠い遠い未来の誰かに 伝えることができるなら
【モチーフ】時の流れ
【テーマ】君を愛したことを物語として保存したい
ASKAソロのライブ(フェスなど単発イベント含む)で、しょっちゅうトリを飾る曲。チャゲアスはいつもトリが違うのが通例なので、この曲にはかなりの思い入れがあるのではないだろうか。ジャスト4分というコンパクトな曲なのだが、その存在感たるや並みではない。
ASKAはよく語った。「この場所、この時間を共有できていることは奇跡だ」と。two-fiveツアーのオープニングムービーでもあったが、46億年という地球の歴史をASKAは意識しているらしい。46億年からすれば、自分たちの一生など滴が床に落ちるような時間なのだ。そんなタイミングで僕たちが出会ってこのライブ会場で一緒に時を過ごしているのは、奇跡としか言いようのないことだと。ライブに通ったファンなら何度も聞いた話だろう。
すごく詩的なクサイ話だけど、おそらくASKAはかっこつけて言っているのではない。たぶん46億年の時間という強烈な実感があって、リアルにこれを訴えていると思う。なぜならば歌に真の迫力があるし、MCでも語りかけてきたときに真剣な空気感があったから。これに限ったことではないけれど、ASKAの言葉にはいつも嘘がない。(嘘をついたときはバレバレ)
地球規模で大活躍した偉人なのだから、やはり感受性のケタが違うといえるだろう。私は46億年の時間など感じたことがない。ASKAに言われて少し想像はしてみるが、やはりそれは表層的な想像でしかなく、重層的な重みをもった実感は伴ってこない。私はせいぜい奈良に行って1500年前の聖徳太子を実感したくらいだ。青森で縄文土器を見ても1万年前は実感を超えていて、オシャレな壺にしか見えなかった。
もっと注目すべきなのは、この46億年の感性に至るということの重大性だと思う。言わば仏教的な「無常」を観じているわけだが、無常観を持つというのは「負けが込んできている」とうことなのだ。イケイケの状態では男はオラオラになるだけで、時の流れにうつつを抜かすことはない。90年代前半のASKAのオラオラ感はすがすがしいほどであった。傷が身に染みてきて、ようやくこの世は無常であることに気が付き始めるのである。
あのころがもうすっかりと懐かしい
どうしたって過ぎて行く 時の中さ
いつの日か 君や僕を 誰も知らない時が来る
これらの哀愁漂う弱気フレイズ群を見よ。これはまぎれもなくASKAの新境地であった。常人からは超越したような感性を発揮してきたASKAが、初めて見せた弱気の群れ。庶民的とさえ言えるかもしれない。
私はこのような現象を「リカバリ」と呼んでいる。芸術家や宗教家によくあることで、「負けが込む」きつい体験を重ねることで、より感性を高めるという現象である。「リカバリ」なので、負けたといってもむしろ正常に戻っているということ。ニーチェの「ツァラトゥストラ」が山から下り、下界の人々とくっだらねぇコミュニケーションを図ることで超人となったように、雲上人だったASKAも庶民的な感性にリカバリしてこのような普遍的な名曲を残したのだ。
そしてこの曲の最重要パートがこれ。
君を愛し続けたすべてを 明日の方へ送りたい
いつか遠い遠い未来の誰かに 伝えることができるなら
私が他項で何度か指摘しているように、ASKAには強烈な失恋体験があるのではなかろうか。その前提でこれを読むと、胸を撃ち抜かれるような切なさに襲われる。
ASKAが残してきた多くの歌は、君を愛し続けたすべてを 明日の方へ送りたいがための、全身全霊のクサビだったのだ。このこと、私は心底うらやましい。なぜならば、誰しも「とっておきの麗しい物語」を心に持っているかと思うけど、それを形にして残すなどというのはしたくてもできないからだ。身近な人に話しても、関係者がみんな死んだら終わり。誰かの脳ミソにあった霞のような記憶データは、雲散霧消する。しかしASKAは違う。「とっておきの麗しい物語」を、レコード、CDという物質に結晶化し続けたのである。しかもその結晶たちによって地球上の何百万人が感動でむせび泣くのだ。こんな凄いことはない。その壮大な規模も併せて考えると、人類史に残る偉大な精神的営為だったとさえ言える。
ASKAがこの曲で言っているのは「46億年に負けたくない。君と僕が愛し続けた日々は、時を超えて残してみたい」ということではないか。そしてそれを成し遂げたASKAに、私は最大級の称賛を惜しまない。ロマンスの極みである。
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