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BIG TREE

作詞・作曲 飛鳥

海の上にそびえる不思議な木を 大きな旗を立てて眺めている

眠りから覚めて 夢を着替えた  どんな季節にも 自由の姿で
倒れない気がしたから 朝のドアをくぐった

君は見たか ひとつの鼓動分け合いながら
心にふちどられてる 君だけの BIG TREE

非常口の明かりを気にしながら 小さな窓を開けて微笑む人

ためらいを捨てて ビルに上ろう 空に掛けた絵を 胸に持ちこんで
昨夜見た夢の中 はためかせてみようか

君は見たか ひとつの鼓動分け合いながら
心の場所を知らせる 君だけの BIG TREE

大きな海と 大きな空と 大きな旗と 君だけの BIG TREE

黄昏の夕陽うけても 沈まない 君だけの BIG TREE

大きな海と 大きな空と 大きな旗と 君だけの BIG TREE

動かない景色のような 誰かがくれた生命の BIG TREE

君は見たか ひとつの鼓動分け合いながら

心にふちどられてる 君だけの BIG TREE

 

【モチーフ】心に根差す大きな樹

【テーマ】思うがままにできる自由

 

チャゲアス史上No.1ヒットのオリジナルアルバム『TREE』のタイトルチューン。コンサートの大トリが似合いすぎる大曲であり、ファンからの人気も絶大である。

この曲はひたすらポジティブだ。歌詞だけではなく、映像を見れば分かる、怒涛のポジティブなエナジー。歌詞にも負の要素は描かれておらず、演奏も歌唱も非常にダイナミックである。この曲から我々が受け取る印象は、ひたすらに陽性だ。東洋的に「天・地・人」の三分類で分けるならば、耽美性を追求した(そして大した深みは持たない)SAY YESは「地」の歌。酸いも甘いも嚙み分けるような深みを持つPRIDEは「人」の歌。そしてひたすら天上的に明るいBIG TREEは「天」の歌。私はそのような印象を持っている。95年以降、この曲は歌われていないことも象徴的だ。ポジティブすぎるこの曲を、ネガティブなエナジーを背負った90年代後半以降のASKAは、歌う気になれなかったのではないだろうか(例外的に札幌のカウントダウンで歌われたが、歌に負けている印象)。

では歌詞のポジティブ表現を拾ってみよう。

 

そびえる

大きな旗

夢を着替えた

どんな季節にも

自由の姿で

倒れない

ドアをくぐった

ためらいを捨てて

上ろう

はためかせてみようか

大きな海と大きな空と大きな旗と

沈まない

 

非常口の明かりを気にしながら 小さな窓を開けて微笑む人 ためらいを捨てて ビルに上ろうというのは「非常口」=逃げ道を用意すること。「小さな窓」=わずかなチャンス。ためらいを捨ててビルに上る=自由にやりたいことをやる。非常口というのは上から下へ降りる道のことだが、逃げ道を作らないで恐れずに上に飛翔してしまおう、という意味合いだと思う。

以上のように至る所にポジティブな表現が埋め込まれているので、リスナーの気分は否応なく高揚させられるのである。ネガティブな要素は皆無で、ひたすら前向きなのだ。

 

この曲では「自由」が歌われているように思う。どんな季節にも 自由の姿で倒れない気がしたからという表現にも「自由」の語が見られるし、他の部分もとどのつまりは「逆境があっても自分の意志で切り開いて見せる」という気概が描かれている。自由や万能感。このような感覚が91年当時のASKAを貫いていたのではないだろうか。

89年に渡英・レコーディング、90年にアルバム『SEE YA!』がスマッシュヒット、10年間セールスが伸び悩んでいたチャゲアスに追い風が吹き始める。91年に入るとソロで『はじまりはいつも雨』が初のミリオンセラー。4か月後には『SAY YES』がトリプルミリオンの超メガヒットとなり、ASKAは突如として頂点を極めることになった。BIG TREEはそのあとに書かれた曲だと思われるので、ASKAのポジティブな精神が出ていると考えられるだろう。この曲を考えるにあたっては、このような背景を抜きにしては成立しないと思う。

自由とは何か?やりたいことをやる、それが自由だ。しかし誰もが知るように、やりたいことをやるには様々な制約をクリヤする必要がある。プロのミュージシャンにとっては「やりたいことをやれる」かどうかは死活問題ではないかと想像される。歌いたくない歌を歌わされる歌手、奏でたくもない旋律を奏でるギタリストはゴマンといるだろう。ブレイク後、CHAGEもASKAも声をそろえて色んな場で語っている。「歌いたい歌を作れて、それを多くの人が受け入れてくれる状況が幸せだ」と。ASKAはデビュー当時「フォーク演歌」という路線を選び、女性視点で歌詞を書き、歌ってきた。ASKA本人が常々語っているように、それは「ヒットするため」である。ASKAはヒットにこだわる姿勢を隠そうとはしない。それが90年代に入って突如、時代が味方をし始めた。これはASKAにとって非常に大きな価値を持ったと思う。80年代後半から強烈な個性を発揮していたが、セールスがついてこなかった。そこへきてのこの状況は「自分は間違っていなかった」という自信をもたらしたのであろう。この自信がBIG TREEという盤石な根を張る樹木のイメージにつながるのではないだろうか。君は見たかとあるように、自由や自信は誰にも備わっているものである。それを手にするのは自分次第。「オレはやったぞーー!!」という叫びでもあるだろう。 

 

BIG TREEとは何を意味するのか?ASKAがここまで露骨に象徴表現を用いるのは、じつは珍しい。「抽象的」な歌詞はよく書くが、「象徴的」な詩は案外少ないのである。「BIG TREE=大きな樹」という対象物にASKAは何らかの意味を込めている。ASKAがイメージするビッグ・ツリーとは、一体どのようなものだろうか。描かれた表現を追いながら想像を膨らませてみよう。

 

「BIG TREE」にはふたつ、冠がくっついている。これが大きなヒントになると思う。

①君だけの BIG TREE

②誰かがくれた生命の BIG TREE

ここから推察すると、

①BIG TREEとは各人の心に根差す何かであって、この世に実在する物質としての樹木ではない

②「誰か」とは神のことを指すと思われ、BIG TREEとは何らかの生命原理のことを指している

といった読みができる。

例によって抽象的過ぎて判然としないが、ここまで述べてきた「自由の感覚」に関連する表現として捉えたい。

 

生命の BIG TREEという表現から私が連想するのは、ユダヤ教の「生命の樹」という象徴図である。

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エヴァンゲリオンにも登場するので見たことがある人も多いと思うが、これは生命原理を10のステージと、その各段階に至る道筋を22のルートで示したものである。内容については触れないが、要するに人間の精神の発達段階にはパターンが定められているということを意味する。これはユダヤ教に限った発想ではなくて、仏教各派にも見られるし、近現代の心理学者も言っている。(エヴァは主人公の成長を描くビルディングス・ロマンであるからこそ、生命の樹が登場するのである)

あらゆる神秘主義は、人間をステージやパターンで分類する。修行の進捗状況を自他ともに認識するためである。この進捗状況の下位にいるうちは意識されないのだが(つまり大方の人は気にも留めない)、真ん中くらいを過ぎると自分がパターンに組み込まれていることを自覚する。つまり「自分はすごい」と思っていたのが、「所詮自分も他人と同じ道をたどっているにすぎない」ことを発見するのである。自由から不自由へと転落をするのだ。

ちなみに神秘主義的な解釈では、そのとき求道者は「釈迦の手のひらで転がされてた!」と大きな感動に打たれるのである。打ちひしがれる、のではなくて、感動するのだ。自分が不自由であることに気付き、そこから逆説的に自分を含む生命の大きな営みに思い至り、感動を覚えるのである。そして自我を捨て、神に身をささげ、災厄をもわが身に必要な試練として受け入れるようになる。

 

そして真の自由は、不自由を舐め尽くした後にやってくる。幼いころに感じていた自由は本当のものではない。不自由を知らないからだ。幼いころの自由には喜びがない。BIG TREEにある突き抜けた爽快感は、「いい曲を書いてるのに売れない80年代」を経験したからこそ、あるのではないだろうか。

ユダヤの「生命の樹」でも禅の「十牛図」でも空海の「十住心論」でも、最初の絶頂は序盤に設定されている。しかしそれは幼子の万能感に過ぎない。それはやがて地に墜ち、苦杯を舐める。そこで終わる人もいるし、そこから真の自由へと飛翔する人もいる。ASKAは91年当時、確かに「真の自由」を手にしたのではなかろうか。自由自在の境地。100万単位の観衆に注目され、出せばヒットする入れ食い状態。これは社会人としての絶頂でもあるし、人間の精神発達の上位段階を示す貴重なケースであるともいえる。

ASKAがBIG TREEという象徴にどんな意味を込めたのかはわからないが、私は以上のような連想をした。

 

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