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ライブの構成術

チャゲアスのライブはとても作りこまれている。演出はもちろん、曲のセレクトや順番にも並々ならぬ情熱が注ぎ込まれている。他のミュージシャンのライブに行くとそのことがよくわかる。「あ、チャゲアスのライブってめちゃくちゃ凝ってたんだ」。ふつうはあそこまで考えて構成しない。特にアメリカ人のロックなんかに多いけど、曲順にポリシーなど一切感じない。適当にちゃらちゃらやっているだけなのだ。チャゲアスはそうではない。たまにドキュメンタリーで舞台裏の映像が映るけど、議論に議論を重ねて、一曲ごとに検討を加えているようだ。そのような表には見えない努力の積み重ねが、神社でのご神事にも近いあの空気感を生み出しているのだと思う。

チャゲアスのライブは綺麗に「起承転結」の型がある。これはすべてのライブに共通するといっても過言ではない、観客のボルテージを操作する魔法である。ここでは2007年の名演「DOUBLE」を例にとって説明しよう。

 

チャゲアスは基本的に天邪鬼である。イタズラ好きなASKAの性格を反映しているのだと思うが、「意外性」で我々の度肝を抜くことが多い。したがってライブの大切な掴みである一曲目は、何がくるかわからないハラハラ感がある。意外な曲を引っ張ってくることも多いし、素直に直近のアルバムの一曲目のこともある。我々は何が来るか読めなくてドキドキしているので、素直な曲が来ても「意外」と感じる。うまい戦略だ。

DOUBLEでは「恋人はワイン色」。これは意外である。88年、つまり19年前のシングル。もちろん有名な曲だけども、それをここで持ってくる脈絡はまったく存在しない。私などは意外すぎて、サビまで「なんかよく聴いたことがあるけど、この歌のタイトルなんだっけ」状態だった。

そして一曲目で客を掴むと、二曲目にはほぼ必ずアップテンポな曲を持ってきて、ボルテージをさらに一段上げてくる。ここではアルバムDOUBLE収録の『僕はMusic』。

そして三曲目にはそのボルテージを維持する程度にアップな佳作を入れる。ここではCHAGE曲の『ボクラのカケラ』。アルバムで聞いたときには何も感じない地味な曲だったが、私はこのライブで見てとても好きになった。そして三曲目が終わったところで最初のMCとなる。そのあとまた3曲くらいミディアムテンポなのをやって、起のパートは終わる。

 

起パートで客をできる限り暖めたところで「さぁ座ろうか」といってバラードタイムになる。これが承パート。我々も開演前から続く緊張から解放され、リラックスタイムに入る。この時間が重要なのだ。比較的静かなこの時間に、「生きているチャゲアスに対面しているんだ」という実感がじわじわと湧いてくるのである。これは起パートでは感じられない感情である。

二人とも歌が超絶的にうまいので、このバラードの時間は長めに取られる。このバラードタイム中、しかもCHAGE曲のときにトイレに立つ人が多い。まぁバラードといってもASKAには入魂の熱い名曲が多いので、この承パートも後半になってくるととても見逃せない高まりを迎えるのである。

『PRIDE』はチャゲアスの中でもとりわけ大曲だが、この歌が終盤に歌われたことは少ない。ASKAソロの『月が近づけば少しはましだろう』もそうだけど、あからさまな大曲は承パートに持ってくるのだ。天邪鬼ともいえるし、潔いともいえる。演出上、承パートを盛り上げるために必要な操作だ。

女性ファンはこのバラードタイムでさめざめと泣く。ちなみに、若年層ファンとしてはありがちな一人参加が常だった私だが、DOUBLEツアーがあまりにも良すぎるので、非ファンを招待して見に行っている。連れていったセレブなマダムはno doubtで涙していた。何か思い出したのだろうか。

 

チャゲアスのライブでもっとも興奮し、ツアーを印象付けるのがこの転パートである。ここでは怒涛のアゲアゲ攻勢。ASKAはバラードよりもアッパーな曲のほうがうまいし、この世の物とは思えない興奮を味わわせてくれる。特にDOUBLEツアーは凄かった。まず意外な選曲に興奮し、そしてパフォーマンスに興奮。ファンなら分かると思うが、GUYS~Sea of gray~YAH YAH YAH~can do nowという、奇跡のセットリスト。まぁYAHからcanは定番中の定番の流れなので、ここに意外性はないが(それでもSea of Grayのあとだから興奮した)、このGUYSとSea of grayという超意外なセレクトにはみんな興奮の坩堝だった。GUYSはライブでは93年の「夢の番人」でしかやっておらず、DOUBLEで私は初めて生GUYSを聴いた。爆音空間で鳴り響くあのリフを想像してみて欲しい。意外性もすごかったし、私のチャゲアス体験の中でも指折りの興奮だった。

しかもSea of grayのアウトロには原曲にはないパフォーマンスが入っていて、このツアーのテーマ曲ともいえる『Man and Woman』のサビを変形して挿入している。これはtwo-fiveツアーでも『not at all』に『ripple ring』を挿入したのと同じパターンで、輪廻転生の題目を唱えるという芸術的な試み。圧巻だった。私のチャゲアス体験上、この部分が興奮度MAXだった。夢幻の世界とはまさにこのこと。(友達の友達である台湾人のファンを連れて行ったときは、「can do now!can do now!」と終演後に訴えていた。たしかにこれもよかった)

 

怒涛の転パートが終わったところで、シリアスなASKAのMCを挟み(このときは迫り来る地球滅亡について。最後のMCでCHAGEが喋ったことはほとんどない)、1~2曲、ツアーのテーマ曲=直近のアルバムの中の重要曲で締めくくられる。

高ぶりすぎた興奮を鎮めてくれる重要な部分である。これがあるから「いよいよ終わるんだ。さびしいけど、でも最高の時間だった。ありがとう、ASKA」とみな心の中でつぶやけるのである。

そして通常、チャゲアスにはアンコールがない。あのわざとらしい時間が好きではないと言う。私もそうだ。しらじらしい手拍子などしたくもない。形式主義に陥るのは日本人の悪徳の一つだと思う。

 

観客の感情をコントロールし、最大限の感動を味わわせてくれるチャゲアスのライブはまさに一級芸術。私もこの起承転結の構成には大いに影響を受けた。オリジナルテープを録音するときなど死ぬほど曲順を考えて、どうしたら自分の心が最大限に盛り上がるか一生懸命考える中学生だった。今にして思えば、このようにして感情の波を観察する癖が形成されたようだ。長じるにつれて難解な文学などを見るようになったが、基本的に私は小中学生のときに熱中したチャゲアスをモノサシにして見ている。興奮するかどうかがすべてだし、興奮には起承転結という型がもっとも効果的なのだ。そのような秩序に無頓着な文物に対しては、私はまったく興味を持てなくなった。はっきりと感じるが、それはチャゲアスのライブを見てきたからである。チャゲアスが私の中で美の基準を形作っているのだ。文学やアートを渉猟してきた私に言わせて貰えれば、チャゲアスのライブを超える芸術はこの地球に存在していない。

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