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PRIDE

作詞・作曲 飛鳥涼 (’89)

「思うようにはいかないもんだな」 呟きながら 階段を登る

夜明けのドアへ辿りついたら 昨日のニュースと手紙があった

折れた体をベッドに投げ込んで 君の別れを何度も見つめてた

伝えられない事ばかりが 悲しみの顔で駆け抜けてく

心の鍵を壊されても 失くせないものがある プライド

 

光の糸はレースの向こうに 誰かの影を運んできたよ

優しい気持ちで眼を細めた時 手を差し伸べるマリアが見えた

何が真実か わからない時がある 夢に乗り込んで 傷ついて知ること

誰も知らない涙の跡 抱きしめそこねた 恋や夢や

思い上がりと笑われても 譲れないものがある プライド

 

僕は歩く 穏やかな愛で 白い窓辺に 両手を広げた

伝えられない事ばかりが 悲しみの顔で駆け抜けてく

心の鍵を壊されても 失くせないものがある

誰も知らない涙の跡 抱きしめそこねた 恋や夢や

思い上がりと笑われても 譲れないものがある プライド

 

【モチーフ】

失恋と見神体験

【主題】

自我の強化

 

チャゲアス史上、不動の人気ナンバーワンのこの曲の魅力。それは賛美歌風に荘重であることと、歌詞の一貫性が見出しづらく意味不明であることだと思う。

そう、気づいていただろうか。この曲はかなり意味不明であることに。ではどこが意味不明か分析してみよう。

まず一番は解説不要、失恋のストーリーである。伝えられない事ばかりが 悲しみの顔で駆け抜けてく。すばらしいフレイズだ。問題は次である。

心の鍵を壊されても 失くせないものがある プライド

私は思う。なぜ、ここでプライドが出てくるのだろう?失恋してズタズタになったところにプライドなんて持ち出しても邪魔じゃないのか?恋愛とプライドは水と油ではないか?

打って変わって二番。マリアが見えた。これは単行本『けれど空は青 ~飛鳥涼論』や月刊カドカワ94年2月号でASKA本人が語っているように、実体験だそうである。寝る前に世界平和をお祈りをしていたら、宇宙空間まで幽体離脱をして、マリア様に会ったとのことである。失恋から見神体験に話が移っているのも相当ヘンだが、締めのフレイズもやっぱりおかしい。

・思い上がりと笑われても 譲れないものがある プライド

 

失くせない 譲れない プライドという部分だけ切り取れば、至極まっとうなポリシーの表明である。だが、その表明にいたるまでの前説が、一筋縄ではないのだ。この歌にはそのような奇妙さがあるのだが、みんな気にしていただろうか・・・ この歌は意味不明なわりに人気がありすぎるように思うが、みんななぜ好きなのだろう?

この地上で何百万人がこの歌に胸を打たれたかわからない。やはりそれだけの普遍性や説得力が含まれているのだろう。理性で追っても理解できない部分、本能的に感じるこの歌のパワーがそうさせたに違いない。この歌を聴いて、それぞれ感じることは十人十色だと思う。ここでは私が感じるPRIDEについて、記してみたい。

 

古典的な精神分析では、メンタルヘルスを保つコツとして「エスを解放し、自我を強化する」ことを奨励している。「エスの解放」とは無意識下の欲求を抑圧させないことを意味し(言いたいことは言う、など)、「自我の強化」とは文字通り自分を強く持つことである。じつはこの「自我の強化」というのがある種の人にとっては非常に重要になってくる。

例によってオカルティズムの話。真理を探究する過程である高みにまで達すると、人は自我を捨てなければならない。自分を捨てないと感じられない、繊細な感覚と直面するのである。たとえばそれは神。

たしかに霊感さえあれば神様の存在は感じることができる。しかし感じるだけでは道を誤ってしまうのだ。みなさんも見たことがあるだろう。神様に狂って常識という人間的な美を失ってしまった哀れな人を。

神や運命に直面したとき、人は自分を捨てなければならない。具体的に言うと、神や運命は厳しい現実を突きつけてくる。このときに自分を捨てていない人は、その状況を自分の都合のいいように解釈し、逃げたり、楽な道を選ぶ。俗にいう「スピリチュアル系」だ。私が神秘的な事柄をスピリチュアルと言わずに古典的な「オカルト」の語を使うのも、これと区別するためである。

反対に、自分を捨てた人は、今までとは違う自分になれる道、言い換えると滅茶苦茶きつい方へ歩き出す。そして傷つきながらも高みへと昇ってゆくのである。このあたりの機微を示すのが「何が真実か わからない時がある 夢に乗り込んで 傷ついて知ること 誰も知らない涙の跡 抱きしめそこねた 恋や夢や」

他に自我を失くすきつさを描いた作品を紹介しよう。ASKAではないのだが、ASKAと同じオーラを持つ徳永英明の『僕のバラード』。

この歌では運命で結ばれた女性(実際の妻らしい)との、厳しい現実が歌われている。

「愛と絆くらべては ここから逃げたくなる」というフレイズは、ショッキングなほどに赤裸々だ。つまり、愛はほとんど枯れているが、絆すなわち運命の力が強すぎて逃げられない、と言っているのである。そこまできつくて逃げたくなるのに、なぜ逃げないかといえば、自分を捨てて運命に従っているからである。真理を追究するために。

 

さて徳永英明ももやもや病という奇病で倒れたように、自分を捨て続けるとやがて倒れることになる。そこまでいって初めて、真理の旅人は気づくのである。「自分を取り戻さなければならない」。すべての過酷な運命は、自分を犠牲にするという行為から生み出されていることを知るのである。当たり前すぎることだが、自分をしっかり持っていれば、くだらないトラブルには巻き込まれない。なんという当然の帰結か。だがASKAも言うように、「人は円を描く」のである。何度も同じ道を通るのだが、通るたびに発展があり、らせん状に上昇していく(「まっすぐ伸びた円を歩く」)。それが人の発達過程である。

PRIDEのテーマは、自我の復権。失恋など過酷な運命に振り回されても、自分だけは失くしてはいけない。この解釈が私にとってこの曲の意味不明さを解く唯一の答えである。YAH YAH YAHにも「傷つけられたら牙をむけ 自分を失くさぬために」という一節があるように、自分=プライドを失くすな、それを失くしたら終わりだぞという、ASKAの主張があるように思う。

 

なお自我の復権は、多くの詩人が挑むテーマである。BUMP OF CHICKENの『ダイヤモンド』もそうだ。これも血のにじむような絶唱が心を打つ。徳さんとか藤くんとか、優しい人はみな地獄を見るようだ。

 

最後にもうひとつ、他人からの援用を。

「我思う、ゆえに我あり」デカルト

西洋社会でもっとも神秘的な秘密結社、薔薇十字団に属した哲学者の名言を載せて締めくくることとしよう。

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