ASKA 非公式ファンサイト

チャゲアス韓国公演は失敗だったのか?

2000年8月26・27日、韓国公演は行われた。

韓国公演はただのコンサートではなかった。政府が認可を下し、政治的意味合いを多分に含む日韓親善イベントだった。調印式のような公的な会見も行われている。韓国では、戦前の植民地政策への反感から日本語の文物が禁止されていて、音楽は海賊版でしか手に入らなかった。その状況を変えようと、韓国政府は日本文化の開放を決断。この歴史的決断の手始めに、日本人による音楽公演を企画。適したミュージシャンを物色していたところ、アジア全域で活躍した実績のあるチャゲアスに、白羽の矢が立った。つまり、チャゲアスの韓国公演は大韓民国政府が歴史上はじめて認めた、日本人による初の大規模コンサートだったのだ。もちろん新聞でも一面で取り上げられた。韓国公演とMTV出演は、チャゲアスの偉業中の偉業だ。

外務省の公式文書

この動画は当時の雰囲気をよく伝えている。当時私は高校2年生で、もちろんバリバリのファンだったから、必死にニュースを見ていた。翌日の教室では、お調子者のグループがYAH YAH YAHを歌っていたのが嬉しかったものだ。

ASKAはコンサートの最後のMCで、日帝支配の歴史について触れた。戦争という歴史が、避けては通れない問題であることは、アジア中を回ったASKAが一番わかっていた。「過去に色々とあったことは伝え聞いています。でもそれは想像の域を出ません。僕らは悲しいことがあった時代に生まれてきました。僕らはそれに目を背けるのではなく、一緒に悲しむ世代でありたい」。実際に体験していないことを謝るのは嘘くさい、ということでこういう表現になったという。日本人として、偽りのない、とてもとてもリアルで繊細な表現だと思う。ASKA史上に残る、伝説のMCは必見。

 

しかしASKAの逮捕以降、この韓国公演が失敗と語られるようになった。曰く、公演が赤字となり事務所が倒産。これをきっかけにASKAは薬物に溺れるようになった、と。当時から事務所倒産の報道はあったが、薬物依存という物語のひとつのネタとして、餌食になってしまった形だ。

これに関してはハッキリ、ASKA本人が否定している。日本企業のスポンサーがつき、赤字ではない。事務所の解散は全く別の話で、国内におけるCDのプロモーションの失敗の責任問題によるものだと。2016年1月のASKAブログで詳しく書かれているので、興味がある人は読んでほしい。韓国公演が赤字であったことを、今になってまでASKAが隠す理由はあまりないように思うので、嘘じゃないのでは。事実関係もリアルに書かれている。週刊誌報道やネット記事よりは遥かに信憑性があるように私は感じるが。

ただし集客に苦労したことはASKAも認めていて、観客の半分は日本人だったと報道されている。これについてASKAはプロモーションの不足によるという。そもそも日本語のCDすら韓国では発売禁止されていたので、チャゲアスの知名度は低かった。積極的なプロモーションが必要だったが、急すぎて日本語解禁など政治的に条件が整わず、CDリリースなどの宣伝はほとんどできなかったと。

以下の動画はそのへんの舞台裏を取材している貴重なものである。特に6:40からの韓国側興行主のインタビュー。余程つらかったのか、突然思い出し泣きをしている姿は圧巻。もしかすると反日勢力の嫌がらせなんかも受けたのかもしれない。

集客に関しては、私は違う要因の可能性も指摘しておきたい。私は韓国に縁あって、大学生の頃から韓国人の友人が多い。渡韓回数は15回を超え、計300日ほど滞在経験がある。言葉もそこそこ喋れる。宿泊はいつも、現地の知人の家だ。向こうのテレビはよく見るし、音楽のことも少々分かる。その経験で言わせてもらう。純粋に、チャゲアスが、向こうの音楽シーンにマッチしなかった可能性だ。
韓国人に聞いた話だ。日本語CDがなかったというが、海賊盤はあった。90年代、Xと安室は異常に人気があったと言うのだ。つまり、一部とは言え日本の歌手もアンダーグラウンドではそれなりに聴かれていたということだ。プロモーション不足もあるだろうが、チャゲアスは韓国で人気がなかったという面もあるようだ。
多くの日本人が知らない事実がある。それは、韓国の音楽シーンは非常にハイレベルということだ。K–POPというと少女時代や東方神起といったイメージかもしれないが、それは日本で言えばモーニング娘。や嵐と一緒。それらでJ−POPを語るのが愚かなように、東方神起でK–POPを語ることもまた、愚かなのである。例えば私はソテジというミュージシャンが好きだ。

これは2008年だけれど、実際に私がK−POPを見直すきっかけになった一曲。向こうのテレビで見て、サイバーな世界観に鳥肌が立った。その他友人に教えてもらって、日本人の知らないK−POPを色々学んだ。はっきり言って、平均値ではJ–POPよりも遥かに上だと思った。
韓国公演は2000年。この時期にチャゲアスというのは残念ながら遅きに失したわけだ。アジアでの人気の最盛期は94~96年頃だった。自国の音楽で十分に充足できている韓国人が、わざわざチャゲアスに飛び付く理由はない。J−POPに求められるのは物珍しさ、革新性である。オーソドックスに歌い倒すタイプのチャゲアスでは、吸引力がなかったのかもしれない。韓国公演のあとにも人気が高まった形跡はなく、私が聞いて回った範囲では、誰も存在すら知らない。実際に二度目のコンサートはなかった(私の知り合いで一人だけ、ベスト盤ROLL OVER 20THを持っている人がいた。私の好きなベスト盤だし、めちゃくちゃ嬉しかった。「これを聴くと元気になる」とのこと)。

やや余談だが、上記のASKA伝説のMCの内容をある知人に伝えてみたところ、「悪さをしておいて勝手なことを言うな。謝るべきだ」みたいに言われたことがある。韓国人の反日感情もまた、我々の想像を遥かに超えていることを、骨身にしみて学んだ瞬間だった。なお、私はソウル市内の大きな図書館に行って、ライブ翌日の新聞紙面を確認したことがある。日本では一面に載るなど大きな扱いをされたものだが、韓国ではそうはなっていなかった。中面の文化欄で小さく取り上げられる程度であった。しかも私が読んだ記事は、集客がイマイチだったという批判的な内容。この現実は、私にはいささかショックであった。このイベント自体、むこうではトピックスになっていなかったように思われた。

 

もちろん、マーケット的に不利なことは、チャゲアスサイドは百も承知だったろう。そもそも国に招かれて歌うイベントなのだから、集客に関してチャゲアスサイドに責任はない(イベントが赤字という報道があったことに私は驚いたものだ。非営利のイベントと思っていたから)。ASKAは語る。「僕らはステージに上げさせてもらって、どうもありがとうございますっていう気持ちしかない。でも、いざステージに立ってしまったらそんな事は一切忘れて、何をやるかって言うとその日のChage & Askaのステージをいつものようにやるしかない」。政治的なコンサートであることはなるべく忘れて、いつも通り一生懸命歌う。これが重要。

 

韓国公演を失敗と語りたがる人に、わかってほしいことがある。「チャゲアスは死力を尽くして歌った」という事実だ。映像を見ればわかる、桁違いの気迫。これは汎アジア的歌手としてのキャリアと意地を賭した、一世一代の大一番だったと思う。このサイトも「チャゲアス 韓国」で検索してくる人が非常に多い。たぶんいかに悲惨なコンサートだったかを知りたいのではないかと思うが、そんな人はぜひ、以下の動画を見てほしい。

 

セットリストは過去のツアーのいいとこ取りで構成された。基本的にはベスト的な選曲で行なわれた99年年越しライブを下敷きにしつつ、オープニングムービーと一曲目「なぜに君は帰らない」は94年「史上最大の作戦」ツアー、中盤は直近の99年「電光石火」ツアーからロックナンバーを取り入れる。終盤は95年「MISSION INPOSSIBLE」ツアー。そしてアンコールの「太陽と埃の中で」は90年「SEE YA!」ツアーで見せた超絶熱唱バージョンだったらしい。

そして、何よりも気迫、気迫、気迫。

チャゲアスのライブビデオを見て涙が流れることは珍しいことではない。しかし不思議なことに、いつも私はASKAの「気迫」に涙していたようだ。「魂がこもっている」と形容されることの多いASKAの歌。哀愁や情感で泣かせる歌手はいても、気迫で泣かせる歌手というのを私は他に知らない。そしてこの韓国公演はASKA史上でも断トツの気迫なのだ。政治的プレッシャーや運営上の不安、当時抱えていた声の不調。それら負の要因群が、ASKAに気迫という奇跡を授けてくれた。

なおこの模様はフジテレビが収録し、一般販売はされなかった。当時我が家は偶然にもスカパーのお試し期間でチューナーがあり、CSフジ(フジテレビ721)のみで放送された120分版の録画に奇跡的に成功している。地上波でも深夜に90分番組で放送されたようだが、これはカットが多く、CMも当然入っているだろう。私はこのビデオを何度繰り返し再生したことか。何度涙がこぼれたことか。私が所有する秘蔵ビデオの中でも逸品中の逸品なのだ。
私は、韓国公演がいかに名演だったかを、一人でも多くの人に伝えたいと願っている。

 

最後に、ひとつの貴重な資料を紹介したい。

韓国公演の直後に行われた『ASKA CONCERT TOUR GOOD TIME』のツアーパンフレット。ここでASKA本人が韓国公演に関して詳細に語っており、韓国公演の模様を知るには最高の資料なのだ。ネット上でこのインタビューが嫌韓流の文脈で、恣意的に引用されているのを見つけた。私はこのツアーを名古屋で見たしパンフレットも所有しているので、公平に、韓国公演に関する箇所を引用して紹介しておこう。ぜひとも韓国=失敗という色メガネを脱ぎ捨ててほしいと願う。大事なのはそこじゃない。歌を一生懸命歌うということだ。

以下、抜粋。

 

「自分たちに決めていただいたというのは、とても光栄なことなんで、だから実現させるためにスケジュールのやりくりを考えなきゃいけないなと思ったんですけど、でも5月の半ばにこられて、8月26、27って言われたら…考える間もない。普通、日本ではね、大体リハーサルもうまく立ち上げられない状況でしょう。ソロのリハーサルのためのバンドはフィックスしてたけど。するとChage & Askaのリハーサルをしなければいけない。リスクがすごい大きいんですよ。でも、これはもうやらなきゃいけないっていうところがあったんで、思いっきり飛び込んでみたんですけどね。あと、1番危惧したのは、やっぱり政治的背景が、とてもおっきいんでね。よく言うんですけど、歌が政治をはらむようになっちゃダメなんで、そういう部分を感じさせない、いちシンガーとしてのコンサートをできるならばやりましょうということで。でもね、韓国と日本の長い歴史を考えると、ステージに最初に立つっていう事だけで、文化開放という言葉を背景に歌ったときっていうのは、どうあがいても、政治的な背景、ニオイっていうのは拭えないんですね。だからそのへんは自分たちから、殊更に言うことではないし、どういう印象を持たれても、やることに意味があるんだから、もうこれ以上迷わないようにしようと」

「ステージに上がって歌う前に思ったのは、僕らが動くよりも前に、まず韓国側のスタッフが、日本の文化を解放しようとして動いてくれているんだと。今、この国が日本に対して、扉を開こうとしている、一緒に、共に歩こうとしている。今、一緒に歩き始めないと、この先、未来というのは渡っていけないんですよということを、本気で思ってくれている。そういう意識が、こっちに向けられると、僕らはステージに上げさせてもらって、どうもありがとうございますっていう気持ちしかない。でも、いざステージに立ってしまったらそんな事は一切忘れて、何をやるかって言うとその日のChage & Askaのステージをいつものようにやるしかない」

「僕らが接した向こうのスタッフは、不思議と、本当に不思議なほど、僕らの全てになって動いてくれたんです。これからは、韓国と日本を繋がなきゃいけないんですって言葉にも力があったなあ。僕らはそんなふうな愛情を一身に受けて、韓国でのプロモーションができたんです。僕らのキャラクター、活動内容の全てを、僕らが向こうでお会いする方々に事前に説明してくれていたりとか。そうすると、もうこんにちはって言った瞬間の、こんにちはの笑顔が全然違っていたりして、本当に表面上ではなく受け入れてくれているんだなって。ある時、北朝鮮と韓国の友好条約の調印の時の韓国の代表の方と、ちょっとだけお会いしたんですよ。その人に単刀直入に”日本人は嫌いですよ”って言われてしまった。”私は日本人は嫌いです。知ってますか?過去にいろいろあったことを”って。それで”いや、僕らはそれを直に見てないんで、何も言えませんけど、いろんなことがあった事は知っているつもりです”って答えたんです。”ただ本当に僕らの世代には、それを昔に戻って解決することができないし、そういう状況があったことを知っているだけなんです”と、本当に正直に答えた。そしたら途中で、”本当に私は日本人が嫌いなんだけど、不思議なことに、あなた達は別なんだなあ”って。それも韓国のスタッフが僕らの精神的なものを気遣ってくれて、事前に良い形で印象を損なわないように伝えてくれたんですね。だから今回のコンサートは、表向きはきれいに、日本と韓国の文化的な橋渡しっていうふうに書いていただいているんですけど、僕らの中では、むしろ本当に頑張ってくれたスタッフたちに対して、ここまでやってくれたのに、俺たちがまずいものをやるわけにいかないっていうことだったんですね」

「相手と友達になって、相手のことを知って、お互い気持ちが打ち解けて、また会おうねっていう間柄っていうのは、日本と韓国のパーソナルな部分では作れると思うんですよ。だけど1つの目標に向かって、手を組んで前に進んでいく姿っていうのがあるでしょう。もしかするとそれは、愛情という意味では後付けなんですよね、そこから始まったものじゃないから。1つの目標に向かって進むうちに、互いが自然に愛情を持ち寄って、肩を叩きあって、並んで歩いて行くっていうね。Chage & Askaをステージに送りあげることによって、それを達成しようとしている人たちがいて、僕らもそれに応えるんだという強い意識がありましたね」

「僕らにメッセージと言えるようなものがあるとすれば、例えば今回の韓国のステージでの最後の一言であったりとか、そういうことではないかなと思うんです。でも、それは僕のメッセージじゃなくて、今の時代が生んでいる大衆の言葉を、僕はただ単にキャッチしてるだけで”申し訳ない、みんなが思ってることだと思うので、とりあえずステージで言わせてください!”みたいな気分なんです。”僕が言っちゃって申し訳ない。みんな思ってることなんだけど、まるで代表しちゃったみたいで誠に申し訳ない”みたいなね(笑)。だから、つまりがそこしかないんだよね。例えば、昔の学生運動を越えてこられたロックシンガーの方々などは、それぞれがくぐり抜けてきた時代背景があるんで、その人たちのメッセージっていうのは、深く受け止められますよ。でも、僕らの世代にメッセージを歌っても、嘘臭くしか聞こえない。若者はこうありたいとか、日本はこうならなきゃいけないとか、そういうの歌にしてしまうと、むしろ俺には滑稽としか映らない」

「韓国で最後に歌ったOn Your Markって曲があるんですけどね。”夢の心臓めがけて行くのは、僕らが僕らと呼び合うため”っていう歌詞があるんです。その僕らが僕らと呼び合うためっていう瞬間の歌詞が浮かんできた時、韓国のステージでは、まさにリンクしてしまった。そんなつもりで作っていたわけでは無いのだけれど、あの場においては、あの言葉がすごい力を持ってしまったっていうね。だから歌って、やっぱりそういう意味では、すごく強いものだと思いますね。ゆえに韓国が文化的な開放の最後の最後で、音楽を持ってきたというのは、歌の持つ力というものがものすごく強いんだということを知っている人たちがいたからだと思うんですよ。そういうことで、今回偶然にも、僕らがああいう場所で歌わせてもらう機会を持てたわけなんですよね。それに関しては、もう何の迷いもなく、本当にありがとうございましたっていう気持ちしかないんです。だから、取り立てで歴史的な出来事がうんぬんとか、Chage & Askaが日本の歌手では、1番最初に韓国でコンサートやったなんて杓子定規に言われたりすることには、背中のどこかで虫酸が走っているようなところがある。また、そのどこかでは正直に喜んでいる自分がいる。表現できない気持ちかな。1つの事実だけで…」

 

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