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じゃんがじゃんがりん

リリースされたばかりのニューアルバム『Breath of Bless』から。タイトルが意味不明瞭であるものの、歌詞全体は非常にタイムリーな話題にも読める。感ずるところが多々あったので取り上げてみたい。

 

歌詞

 

 

猛暑の夏、通り魔、それを騒ぎ立てるニュース番組・・・

我々が生きる現代社会のことであるが、メガロポリスの世紀末をも想起させる。

 

 

どこへ行くのか

じゃんがじゃんがりん

僕らにはわからない

どんな思いで

じゃんがじゃんがりん

未来へ向かえばいいのか

いいのか

 

Our future is uneasy.

 

 

***

 

さて、「ニュース番組は大騒ぎ」「すべてのことをどう受け止めればいいのか」などの描写から2020年を生きる我々は何を連想するか?

そう、もちろん、コロナウィルスである。

 

原発事故のときも凄かったが、今回はそれ以上に情報が入り乱れている。情報情報情報情報情報情報情報情報情報、という感じである。

この情報たちを、我々はどう受け止めればいいのか

 

コロナ禍を通じて私が学習したのはこれ。

 

良くも悪くもテンションをアゲるヤツはクソ

 

不安でパニックになるのは論外として、逆に、災いに乗じてはしゃいじゃうヤツもいるのだ。私が属する健康業界もすごい。みんな免疫力を上げろ!の大合唱で、私の手元にもいつの間にか無農薬玄米や怪しげな酵素、ビタミン剤など続々と集まっている。どう受け止めればいいのか

 

 

また、私が愛読している予言者のブログがあって、氏は遅くとも去年の8月から「2020年は疫病が流行る」と言っていた。この人の国際情勢予測は異常なほど当たるのだ。近いとこでは去年のホルムズ海峡の日本船銃撃なんかも当ててた。19年に朝鮮半島統一というのは外したが、それは来年にずれたらしい。来年は世界大戦も始まるとか・・・ コロナに関しては「日本は大丈夫」「春分を境にウソのように収束する」との由。

 

 

しかし。思うのだ。

情報は正しければそれでいいのか?と。

仮にその予言者が100%正しいことを言う完璧な人間だったとしよう。私はそれを信じたとする。そしてX年、世界大戦を避けるために国外へ脱出する・・・ そして無事で過ごせた。

しかし、である。振り返れば家族はいない。家族はその予言者を信じず国に残り、爆撃で死んだのだ。そのとき私は何を感じるだろうか?

おそらく、そこにあるのは後悔だろう。一人で生き残るのと、みんなで一緒に死ぬのと、どっちがいいか?たぶん後者である。

 

つまり、情報が正しいがゆえに選択を間違えてしまうこともある。とゆうか、正しい情報というのは、私はほとんど害悪でしかないと思っている。そこには事実はあっても真実はない。専門的に言えば、その情報は聞き手個人のカルマを考慮していない。情報とは本来聞き手のメンツを厳選し、密室で伝授されなければならないものだと思う。

玄米で元気になるのは確かだが(試してみてビックリした。体が暖かい。胃がもたれるのが玉に瑕。玄米は12時間以上水に浸して毒を抜くのが必須)、しかし子どもは嫌いと言って食べない。他にも永久凍土から出土したという酵素を培養したジュースを飲んだり、激しい呼吸法のトレーニングをしたりして私だけ人格が変わるくらい免疫力爆騰中なんだけど、それってものすごく寂しいんだよね・・・ 

正しい情報というのは家庭を不和にし社会を動揺させることもある、ということだ。そこまでしてアセンドした果てに何が残されているのか。赤信号みんなで渡れば怖くない。今こそ噛み締めたい格言である。どうせ致死性は低いわけだしねぇ。

 

 

さて歌詞に戻る。

 

 

この唇を

じゃんがじゃんがりん

君に押し続けたい

 

誓う誓う 無くさないと 誓う

君を

 

 

受け止めきれない情報は置いておいて、隣にいる君を守る。これである。

情報の渦で頭脳が右往左往してもこの唇はリアリティ。この唇が自分を現実に引き戻してくれるのである。そういう錨が人生には必要である。私にとってチャゲアスはその大事な錨のひとつ。

 

えてして大規模な災難はイデオロギー合戦に発展してしまうものだ。政府の対応がどうだ、官僚がどうだ、あの国はどうだ、と。これは私の個人的な意見だが、健康にイデオロギーは1ピコグラムも関係ない。国家なんていうものは数千年間、古今東西、全部クソなのだ。いつの時代も税は重いし、庶民を守ってくれないし、争いも尽きない。どこへ行っても我と我が身は自分で守るしかないのである。

情報や国家に頼るよりも、この唇を頼りに生きていけばいいんじゃないだろうか。

そんなことを思った。

 

 

***

 

さて以下は「正しい情報」についての与太話を綴ろう。歌詞には関係がないので好事家のみお進みください。

 

 

私はあるヨットスクールを訪ねたことがある。非行青年が入所し、海を舞台に厳しい教育を施すので有名なあそこである。(現在は子どもを対象にした穏当なスクールに変貌している)

 

校長は言う。現代人は本能が狂っている。動物はみな本能的に秩序を好み集団生活を営む。そしてリーダーを頂点にしたヒエラルキーを形成するのが自然だが、人間は「自由平等」などとウソを教えられてヒエラルキーを否定し本能が狂ってしまった。そのような「エセ民主主義」と、現実には厳存する「ヒエラルキー」との相克によって、精神を病むのだ。それは本能を取り戻せば治る。本能を取り戻すには厳しい教育によって上下関係という秩序を取り戻すこと。また不安定なヨットに乗ることでも脳幹を刺激し、本能が甦えると言う。

 

校長の著書には大体そのようなことが書いてある。私は自分の経験も重ねた上で、この人は正しいと直感し、訪ねて行ったのである。

 

行ってみて驚嘆したのは、建屋のボロさ。私は安宿マニアなので多少のボロい宿舎にはビクともしないが、これには驚いた。「入学金が高い」「暴利をむさぼっている」などと批判されるようだが、絶対にそれは無いと私は言っておこう。校長は週刊新潮の記者とずっと電話で討論をしていたので実はさほど話せていないのだが、あの建屋に入れただけで私は満足だ。この人は高邁な理想を掲げ教育に携わっているけれど、致命的な失敗から逮捕され冷や飯を食い、今も浮かばれずにいる(嫌がらせの電話が今でもしょっちゅうかかってくるらしい)という現実を体感できた。

 

そのときの私の脳裏に激しく点滅していた画像がこれ。

 

 

陰陽太極図。陰と陽は「真ん中」を求めて永遠に流転する図。人類史上最高の叡智の結晶。

 

正論は陽である。完璧に正しい正論は極陽、つまり黒い部分の中心の白点。極陽の正反対は極陰、白い部分の中心にある黒点になる。

万物は白でも黒でもない中庸を目指すのが大自然の摂理であると、古の聖賢たちは説く。ならば極陽は極陰を引き寄せて中和を図るはずである。

 

つまり校長は正論を掲げたがために猛烈な妨害を招いた。陽が正、陰は悪だが、中庸を目指すには悪もまた必要なのである。私はそのようにインスピレーションしたのだった。

 

イエス・キリストや日蓮もそうだ。正論を真ッ正面からぶち上げたために猛烈な迫害に遭ったのではないのか。それを「受難」「法難」と言って後世の信者はありがたがるが、果たして本当にそれは正しいのか。

「中道」を唱えたシャカは迫害にはあっていない。各人の境涯に合わせた説法をするためには、ときに方便を使うほど柔軟であった。老子もそうだ。意味不明な詩で正論を覆い隠した。意味不明なものは迫害されっこない。

 

「本当の100点」は100点ではなく「50点」のことだと思う。100点は弱い。取るのが難しい。失敗がひとつも許されない。たとえ取れてもおめでとうは一瞬で、後には衰退しか残されていない。模試で100点とっても本番では取れない笑。だが「50点」は持続可能かつ、誰にでも目指せる。49点でもなく51点でもない、本当の50点。それはそれでけっこう難しいし、目指しがいもある。

武術でもそうだが、本当の力というのは自分ちのトイレのドアノブをひねるような、何気ない力のことである。フルパワーで動くと読まれてかわされ、やられる。陽は陰を招く。

 

日本の良識ある市民は中庸に近いのではないかな。最近そんなことをよく感じる。

 

(2020/03/24)

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