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シングル(2019/11/16)

 

こちらのインタビューも参照を。

 

https://t.co/aIkYsPlKQo?amp=1

 

 

さほど関係はないが、90年代におけるシングルCDという存在を振り返ってみたい。
昔、シングルCDって何やらとても偉いものだと思っていた。オリジナルアルバムはあまり価値がなく、ベストアルバムが欲しかった。

私がチャゲアスのオリジナルテープを作るときも頑なにシングルをねじ込んだものだ。今思えば愚かだが、「ヒット曲」「シングル曲」にすごく価値を感じていた。だからたいして好きでもない『めぐり逢い』や『はじまりはいつも雨』『HEART』などを録音していたわけだ。『if』や『no no darlin’』は完全に趣味じゃなかったので、さすがに外していたが・・・

 

CD売り上げのピークは95年と言われるけど、そのあたりは毎週発表されるヒットチャートが我々10代の最大の娯楽であった。当時は「パフィーの新曲めっちゃいいで~」「明日globeの新曲やな」などとみなで歓喜していたような印象がある。

 

 

とりわけミリオンを連発するようなミュージシャンは神扱いで、ミスチルが新しいシングルを出すとか、小室が新しいグループをプロデュースするとか言ったら社会が揺れるようなニュースだったのだ。大人の社会でどうだったかは知らんけども。

やはりそこでの主役はアルバムではなく、シングルであった。私もチャゲアスに限らず色々持っていましたよ。『ロード』とか

 

ミリオンと言っても当時は珍しくもなかったが、170万枚超級の曲は社会が揺れるのを感じたものだ。街中いたるところ、テレビのいたる番組でその曲が流れ、そしてさらに曲が売れるという流れがあった。

オリコンランキングを見ていると、170万枚以上の曲は相当深く覚えているものだ。『ホワイトラブ』とか

 

http://amigo.lovepop.jp/oricon_s1.html

 

その点ミスチルは凄かった。94~97年にかけてシングルほとんどすべてが150万枚クラスだった。「ミスチルの新曲」は当時最高のブランドだった気がする。小室も凄かったけど玉石混淆だったので期待値はミスチルほどではなかった。個人的には「飛鳥涼」「小室哲哉」「桜井和寿」はJ-POP御三家と思っている。

 

 

 

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95年は28曲がミリオンヒットという驚き。

https://ripy-jm.com/news/pickup8_95.html

 

かたや80年代はミリオンなど稀だったようだ。

http://amigo.lovepop.jp/yearly/ranking.cgi?year=1985

 

チャゲアスはそのひと足先に「ミリオン当たり前時代」の先鞭をつけたと言えよう。91年にダブルミリオン(SAY YESで280万枚)はやはり偉大だわな。私は幼かったのでSAY YESの思い出というのは無いのだけど、280万枚13週連続1位と言ったら途轍もなく世の中が揺れたんだろうなぁという想像はできる。

余談だが『SUPER BEST Ⅲ』がもし96年に出ていたら、時代の勢いで200万枚近く売れていたと思うけどなぁ。

 

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音楽番組も色々あった。世の中に名曲が溢れていたのだから、やはりどれも見応えがあった。Mステとか夜もヒッパレとか。中でも伝説はやはり『HEY!HEY!HEY!』だろう。

私はダウンタウンはそんなに好きでもないのだけど、生涯で一番面白かったテレビ番組と言えば間違いなく『HEY!HEY!HEY!』と答える。テレビ見ない子ながらこれだけはかじりついて見ていた。死ぬほど笑わせてもらったねぇ。あの番組が凄いのは「ミュージシャンはみな変人。しかも才能が凄い人ほどおかしい」ということを実地で教えてくれたことだ。神憑っていた頃の松本人志のイジリは異次元であった。

 

 

 

ミュージシャンを「アーティスト」と呼ぶようになったのは、この番組が走りだったのでは?私は好きではないが・・・

 

(主観だけど、97年頃から歌謡もプロレスもみな、急速に色褪せていったんさな・・・ 松本人志も坊主にしてから別人になってしまった。97年を境に日本は変わったと私は感じている)

 

(2019/11/18)

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