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ファン歴20年野郎によるチャゲアス分解騒動まとめ

 

10年に渡る活動停止期間の末に、ASKAによる「脱退」宣言で事実上の解散を迎えたCHAGE&ASKA。長年見てきたファンの目線で、分解にまつわる動向をまとめてみた。なお私はCHAGE側をあまりフォローできていないので、ASKA寄りの視点であることはご承知おきください。

 

本人による一次資料として、以下のブログ記事をまず挙げておこう。随時ご参照いただきたい。

https://www.fellows.tokyo/blog/?id=1616

http://aska-burnishstone.hatenablog.com/entry/2019/06/05/230203

 

 

【ASKA脱退の理由】

 

CHAGEとは弁護士を通さなければ話せない間柄であることを告白。この事実にファンが大いにざわついたのが今年6月だった。2人は年に一度の自社株主総会で顔を合わせるだけ。株主総会と言っても株主はCHAGEとASKAの2人のみで、50:50に割れた意見は否決が優先され、ASKAが要求する解散が通ることはなかったという。

では、ASKAが解散にこだわる理由とは?

2人の状況を示す証言は色々出揃ったものの、実は肝腎の理由は明らかにされていない。「言ってはいけない」レベルのことらしい。詳しくはこちらを。

解散騒動(2019/06/05)

 

一方のCHAGEは「なぜ、それを説明できないのか・・・ どうか、ご理解ください」。コメント全文はこちら。

https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201908260000319.html

 

たしかに、理解できる気もする。

 

 

【09年 無期限活動停止】

 

ASKAの主張によると

・04年秋頃から2人のバランスが崩れ→08年に何かが起こり解散を決意

・ASKAが要求する「解散」はCHAGEに懐柔され「活動停止」へ

・CHAGEの意向は「名前だけは残し、永遠のソロ活動を」だったそうな

 

 

ちなみに活動停止発表直後にリリースされたASKAの『L&R』はCHAGEへのメッセージソングとなっている。

 

 

歌詞

 

この曲には「時間は消えて行く」というフレイズがあるけれど、今回のブログでも暗号のように使われている。

 

 

余談だが、CHAGEのことを歌ったと思われる曲(そう読ませてくる曲)は他にもある。

 

97年『共謀者』歌詞

 

 

 

99年『この愛のために』歌詞

 

 

 

 

【04年秋?】

 

「04年秋頃から2人のバランスが崩れ始めた」とASKAは主張しているが、この時期に何があったのだろうか。内実はわからないが、04年といえばチャゲアス25周年であり、忙しい年だった。two-fiveツアーが4月~12月まで長期間に渡って開催され、単発イベント「熱風」が8月25日、慶應大学学園祭への出演が11月13日にあった。ただし周年に関わらずアルバムのリリースはなかった。

 

このときのtwo-fiveツアーというのがなかなかのキワモノで、私は「CHAGE、ついていくのしんどそうだな」と感じた。詳しくはこちらを。

two-five

 

 

私にとっては「2人の距離はあまりにも離れている」と実感したツアーであった。

 

 

【解散はそれ以前から?】

 

ASKAは04年からと言っているが「隠していることはいっぱいある」とのことなので、私は一切信用していない。というのもそれ以前にも解散を思わせる言動はあったからだ。

00年に行われたASKAソロツアー「GOOD TIME」。この時点でMCで「延命のためのソロ活動と思われても仕方がない」などと言っているのである。当時、少なくとも私には、解散という発想はなかったので「何を言ってるんだろう?」という感じだったが、本人たちの間では解散はかなり意識されていたのではなかろうか。

 

ソロ活動についてまとめておこう。

ASKAソロデビューは87年。その後88年、91年、飛んで95年にソロアルバムが発表されヒットしているが、ライブは一度も行われなかった。

初めてのASKAソロツアーが行なわれたのは97年、IDツアー。

それまでには94~96年に大規模なアジアツアーの開催、96年にはロンドンでMTVアンプラグドに出演と、超大仕事をチャゲアスで成し遂げている。ここでひと息、となるのもうなずける。

IDツアーの開放的な姿はかなり印象深い。翌98年にチャゲアスのツアーを行なう予定だったが、ソロ活動を延長し98年もソロツアーkicks開催。このときの弾けっぷりは私が散々書いてきた通りである。99年は20周年につきチャゲアス復活。よそよそしく見えた、というと主観が過ぎるが。

その後も活動停止までに00年、05年、08年にASKAソロツアーは開催されている。

 

特に97~00年の4年間だけに限って言えば、コンビ活動は99年だけだったのだ。この時点でなかなかの危機を迎えていたのではないか、と私は想像している。上記の延命うんぬんの発言は00年である。

 

なにより一番の根拠は、ASKAのソロ活動がめっちゃ楽しそうだったこと笑。CHAGEの活動も素晴らしかったけどね。

 

 

 

 

【80年代は?】

 

私は80年代は2人の関係は完全に良好だったと思い込んでいたが、そうとも言い切れないようだ。ブログにこうある。

 

僕とChageは違いすぎた・・・。

「僕は、いったい何と戦っているのだろう?」と、デビュー後、間もなくしてから、ずっと思い続けてきました。

若い頃は、それでも未来に向かい、耐えることができました。

そんな「耐え」があったからこそ、自分の音楽は成長できたのだと思っています。

 

「デビュー後、間もなくしてから」のCHAGEへの違和感を吐露している。

まぁ、これについては「やっぱりそうだったのか」という感想である。何せ2人は違いすぎた。

こちらは85年に同日発売された二枚のシングル。

 

 

違うにも程があるやろ笑

 

 

『21世紀』という83年のアルバムがあるのだが、こちらも2人が違いすぎてビックリする1枚。詳しくはこちらをご参照いただきたい。

 

『21世紀』

 

 

これは全盛期によく言っていた「1たす1が10になる」というような次元とは違い、「1たす1がマイナス2」になっている笑。単純に違和感しか感じない。ASKAもそういう風に思っていたのだろうか・・・

 

まぁそんなこんなで90年代には天下を獲るのだから、この時期は修業期間として捉えるべきなんだろうけども。

 

 

【もし2人が出会っていなかったら】

 

中学生の頃、そんな妄想をよくしていたな笑。本人もファンも言うことだけど、ASKAがいくら凄いと言ったって、1人ではあんなワールドワイドな活躍はできていなかっただろう、ということ。私は小学3年生の頃の印象を覚えているけど、テレビで見る2人は「CHAGEがいるからカッコいい」と感じていた。いや、カッコいいと言うと違うかもしれない。不思議?神秘的??よくわからないが、とにかくASKAひとりでは映えなかっただろう、というのは強く感じる。

 

しかし大人になってみると、あの頃は虚像を演じていたんだろうなぁというのも見えてきた。ぶかぶかの肩パットを着せられているような。あ、ほんとに着てたっけ・・・

 

 

 

こういうのを器用にこなす歌手もいるんだろうけど、2人はそれをやるには不器用だったのでは。世間にはCHAGE&ASKA=「(悪い意味での)Jポップ、歌謡曲の大御所」というイメージがあるが、ほんとは2人はもっとアーティスト寄りだと思うのだ。

 

 

 

 

 

しかしチャゲアスでやる以上は肩パットを着てスマイルしなければいけない、みたいな、そんな重責があったのだろうか。

 

 

 

 

ブログには

「これからは、自分の歌を自分のために歌いたい。

自分の時間を自分のために使いたい」

とある。

 

しかし私の知る限り、ASKAは99年の時点で「やりたいことをやる」と多くのインタビューで強調していた。そういう欲求は長年にわたって、ひょっとすると40年、抱き続けていたのかもしれないし。「表向きの肩パット」と「本当にやりたい音楽」は別々にあったのかな。

 

その他、こちらもご参照いただきたい。

CHAGE入門

 

 

【まとめ】

 

音楽(活動)を追求する芸術家ASKAと、ファンやビジネスおよび相方との関係を守る社会人CHAGEの意見が、完璧にすれ違ったのではないか。議論が交わることすらなかった様子が、ASKAの筆致から想像される。

ASKAが叩かれるのは当然のなりゆきと思う。けれど芸術家なんだからしょうがないね、とも私は思う。まぁ残念ながらライブの動員に影響は出るだろう。

 

***

 

おふたりにあられましては、本当にお疲れ様でした。私たちのために頑張ってくれて、ありがとうございました。

 

(2019/08/27)

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