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はるかな国から

95年、作詞作曲:飛鳥涼

歌詞

 

まず本人からの証言として、この曲はある事件をモチーフにしている。こちらをよく読んでいただきたい。

 

https://www.chage-aska.net/discography/music/1995M020

 

この事件とはおそらく、94年に大騒ぎになった愛知県の「大河内清輝くんの自殺」であろう。

 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件

 

当時小5だった私も、この事件はよく覚えている。名前はおろか顔写真まではっきり記憶している自分にビックリするほどである。今でこそ自殺や猟奇的殺人、大地震などは当たり前になりニュースからもすぐに消えていくが、当時は上を下への大騒ぎだった。学校でもずいぶん話題になったし、道徳の授業などにすぐ反映された。

今思えば、「生々しい遺書を残して旅立つ少年」のイメージがあまりにもセンセーショナルだったのだ。

ということでこの曲のモチーフとテーマは、珍しく本人によって明かされている。

 

【モチーフ】94年の中2少年自殺事件

【テーマ】後追い自殺はやめよう

 

ヒューマニスティックで感動的な話だ。しかし、ここで立ち止まって一度考えてほしいことがある。

実際のところ、あなたはこの曲を聴いて「後追い自殺はやめよう」というメッセージを受信できただろうか?

私はどっかでこの話を聞くまで、全然知らんかった

 

今回はここに注目したいのだ。作者が設定したテーマに対する、聴き手が受け取る印象とのギャップを。

 

 

***

 

ASKAのライナーノーツにはこうある。

 

“彼の死はひとつの真実として報道されたけど、認めちゃいけないことでしょう。それに彼の死に触発されて、次から続く子供達を僕は卑怯と思った。そういう気持ちをしっかりとメッセージしなければと思ったんです。”

 

「しっかりとメッセージしなければ」って、いや、全然伝わってないのだが・・・

ここのところASKAが各メディアのインタビューで語るところによると、往時は詞にめちゃくちゃ時間がかかったとのこと。あっちゃこっちゃにひねくりまわった詞は、やはり時間をかけた産物だったのだ。この曲とてそうだろう。

 

「後追い自殺はしないでほしいな」

「人として当たり前の判断をしてほしい」

「夏にはシャツを脱ごう 冬は重ね着しよう」

 

自分の言いたいことを効果的に伝えるために、このようにして言葉が選び抜かれているようだ。おそらく・・・

 

さて私が提起したいのはここからである。ASKAの詞は意味不明だからこそ価値があるということを今まで散々書き散らしてきた。今回も茶化しているわけではない。むしろ

直裁的に「後追い自殺はダメ」と声高に叫ぶよりも

「夏にはシャツを脱ごう 冬は重ね着しよう」と遠回しにつぶやくほうが、人の心には刺さるのではないか

ということだ。

 

 

心理療法に「暗示」という概念がある。ほのめかし、引用、例え話、比喩、ジョークなどを用いて効果的に人の無意識に働きかける技法である。古典的な催眠術では「まぶたが重くなる」「指がくっつく」などと囁きかけることを暗示と呼んできたが、これは今では派閥によっては暗示ではなく明示と呼ばれる。ほのめかしではなく明らかに指示しているから。これに対し暗示とは例えば、近所のおばちゃんがスーパー銭湯のマッサージチェアでフルーツ牛乳を飲みながら気持ちよすぎてうたた寝してしまい牛乳をこぼした、そしてよく見ると口からよだれもこぼれていた。というようなエピソードを話すことで結果的に聴き手をリラックスさせるようなことをいう。お風呂のぬくもりや風呂上がりの牛乳の爽快さ、マッサージチェアの肌触りなど体感のディテールを細かく描写すればするほど効果がある。

一見回りくどいようだが、明示よりも暗示のほうが人の心に刺さると考えられている。「差別をなくそう‼︎‼︎‼︎」などと叫んでいる人を見ると鼻白んでしまうのはそれが明示だからであり、皆まで言うなということだ。皆まで言うと聴き手の無意識があれこれ反論を自動的に生成し〈抵抗〉を起こす。

 

ASKAの詞も多分に暗示的なのは皆さま先刻ご承知おきのことと思うが、製作の意図がはっきり示されているこの曲は、特に検証がしやすいわけだ。上記の暗示の例では術者の「相手をリラックスさせる」という意図のもと話題が選ばれているが、この曲では「後追い自殺はダメ」という意図から「夏にはシャツを脱ごう 冬は重ね着しよう」というほのめかしが選ばれている。この遠回しっぷりがすごい。

 

暗示の場合人の心に残るのは「漠然とした印象」である。明るいのか暗いのか、優しいのか厳しいのか、暖かいのか冷たいのか、etc… それは身の内に宿るエネルギーであり、言語化は難しい無意識の方向性のようなものだ。

 

往時、幾百万の民がチャゲアスに「勇気」という感覚を読み取ったのも同じことだ。詞、メロディ、歌唱あるいは存在そのものが暗に発するエネルギーを聴衆は受け取り、それを強いて言語化すると「勇気が出る」などと表現したわけだ。ラブソングを聴いても勇気が出るのである。詞の内容は超えてメッセージを受け取ること、それは皆様も経験があるのではなかろうか。

 

(YouTube『なぜに君は帰らない』へのコメント)

 

私はこんな経験がある。21歳のとき、愛犬が死んだ。母犬から生まれ落ちた瞬間からずっと一緒に暮らしてきた愛犬が、私たちが見守る中息を引き取った(本当に大きな息をひとつ、吐いて逝った)。そのときは悲しいとか泣くとかいう感覚をはるか超え、私の精神は一種の極限状況に達した。夜空にUFOを見るなどしたので相当だろう笑。そのときにはなぜか『NATURAL』を1週間ほどずっと聴いた。別に生き物の命を連想するようなワードは含まれていないし、むしろ不倫を思わせるような俗な歌詞なのだが、そこには「強烈な優しさ」が感じられた。表むきに表現されているワードというのは関係がなくて、行間を読むなどという次元とも違って、言葉を選び声に出すという行為の底流にある、その人の魂の方向性とでも言おうか。「なんと優しい歌か」と私のたかぶった神経は『NATURAL』を捉えた。ペット火葬場からの帰りの車中、『CODE NAME 1』を流しながら私は母に言った。「飛鳥は人の命が何かを知っている」。今思い起こしても、詞や歌声から確かにそう感じられたのだ。

 

『はるかな国から』にもきっとその種の力が潜在していることだろう。

 

まとめると、詩という芸術の奥深さを垣間見ることができるのが、この曲の魅力なのであった。どうすればメッセージを人に伝えることができるか。言葉を選びに選んだ果てに到達する地点がこの曲で発見できる。その奥に流れる「優しさ」を感じ取りたい。

 

だからと言って、私はASKAが自作詞の解説をすることには反対だが・・・ 夢が壊れるので。最近のインタビューで『月が近づけば少しはましだろう』について喋っていたが勘弁してほしかったな。イエス・キリストが甦って聖書の解説を始めたら、世界中の人が白けるだろう。意味不明だからいいのだ。

 

***

 

ここまでくると蛇足だが「はるかな国」とはあの世の謂いだろう。あの世からやって来てあの世へ帰るまで、しっかり生き切りましょうねと。

 

***

 

ところで最初に貼ったライナーノーツ、ASKAはかなり過激なことを言っている。後追いする子に対して「卑怯」だと。

これ、字ヅラだけ読むと炎上しかねないような話だが、実際の感覚として私も共感するなぁ。そのへんは大河内清輝さんの遺書がネットで公開されているので読んでみると、わかる人にはわかるだろう。遺書は当時大多数の日本国民が目にしたものだ。

デリケートな問題なので深くは追わない。ASKAの思想はコンサバティヴだと思う。

 

(2018/10/20)

 

※半年前からiOSがHP作製ソフトを弾くようになり、思うように操作ができません。読みづらい文章がなお読みづらくなり、かたじけなく思います。どなたかWORDPRESSとiOSの関係についてお詳しい方、教えてくださいませんか。ググっても出てきませんm(._.)m

 

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