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毎月配信(2017/12/26)

今年の2月か3月から、毎月曲をリリースするという。11月に出演したアベマTVでぶち上げた構想に改めて触れた。
最近感じていたことなのだけど、配信やストリーミングの時代に「アルバム」という概念は不要ではないかと。腰を据えてアルバムを通して聴くという姿勢が作りづらい。それよりも曲を大量にプレイリストに入れておいてシャッフル再生するのが楽しい。あえてごちゃ混ぜに聴くのが私流の作法で、(メタルの)エクストリームの次に『君と春が来る』が流れてきたときは感動が倍加した。私の中では理想のメディアはラジオで、知らない音楽がランダムに流れてくる状態が一番心地いい。
YouTubeで音楽を漁る時もアルバムという単位はない。例えばYouTube上にはチャゲアスのオフィシャルPVが未整理で散乱しているけど、「これがアルバム単位でまとまっていたら分かりやすいのに」と最近アルバムレビューを書きながら思った。でもよく考えたら逆の話で、今の時代のメディアのシステムに「ひとまとまりのアルバム」という単位がそぐわないのじゃないか。
つまり今の時代にアルバムという単位はいらず、むしろシングルが好き勝手に群立しているほうがマッチするのかもしれない。毎月曲をリリースするという話は、なんとなくだが、そういう新時代のワクワクを感じさせてくれて好もしいと思った。

毎月出るということは季節感もあっていい。自分だけじゃないと思うけど、不思議と曲と季節は思い出がセットになることがある。たとえばno doubtは夏のイメージがする(8月リリースだった)。riverは冬(2月リリース)。そんな感じで曲ごとに季節感という思い出が残るのも乙だったりする。

季節感といえば梅雨の時期には必ずラジオで『はじまりはいつも雨』が流れたり、ボジョレーヌーボーの時期に『恋人はワイン色』が流れたり。クリスマスソングもあれば、お正月ソングもある(LONDON POWER TOWN)。こういうのも乙。
そういえばASKAの詞には「季節」というワードもよく出てくる。(♪どんな季節にも自由の姿で ♪季節を抱くように強く強く♪夢見がちな季節を生んでいないかいetc)。『君と春が来る』の記事を書いたときに「春」のワードを探したらこれも意外とたくさんあった(♪春の衣装体につけながら ♪春の花畑には菜の花が咲くようにetc)。

余談だが季節というのは松尾芭蕉が芸術装置としてシステム化している。俳句の「季語」。
俳句には季語を必ず入れるのがルールで、季語がなければ俳句ではない。季語一覧
たとえば扇風機も立派な季語。https://matome.naver.jp/odai/2139981292314529301

和歌に季語はいれなくてもよいが俳句には入れるのがルール。季語を入れるのは大変だと思うかもしれないが逆で、むしろ季語を決められたほうがクリエイティビティが刺激される効果がある。おまけに五七五という厳しい制限。でもこういう厳しい縛りがないと作り手はすぐ飽きてしまうものだ。縛りがあるからハッスルして何千首でも詠める。〆切がないと仕事がはかどらないのと一緒。

しかも季節は常に流動するから、作り手も受け手も飽きない。いつもオンタイムのものに触れているだけでいい。しかるに松尾芭蕉は季語という最強の量産装置を開発したことになり、現に300年かけながらおびただしい数の人がこれに取り組み、この世に生み出される俳句は増殖し続けている。

 

 

(2018/01/09)

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