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PLEASE

90年 作詞作曲:飛鳥涼

歌詞

 

http://www.chage-aska.net/discography/music/1991M014
『PLEASE』はもともと光GENJIへの提供曲。↑のリンク先によるとASKA本人は歌う気はなかったそうで、大ヒットアルバム『SCENEⅡ』には収録されたもののその後はライブで歌われることもなく放置された。それが突如として2008年の『シンフォニックツアー』で取り上げられる。これはオーケストラをバックに歌う企画だったので、賛美歌風の荘重なこの曲はどハマりすることになる。
ASKAは忘れられた過去の曲を唐突にフィーチャーする習いがあって、突然リメイクしたりライブで取り上げる。『安息の日々』『熱風』『ripple ring』『Sea of gray』など、意外性で聴衆の度肝を抜きながら感動の渦へ放り込んで来た。私が思うにはそのシリーズの最高峰はこの『PLEASE』である。
シングル『UNI-VERSE』のカップリングがシンガポール公演のライブ録音で、私はそれで初めて聴いたのだが衝撃的だった。
http://www.chage-aska.net/discography/item/UMCK-5220

 

なおASKA版『PLEASE』は三枚のCDに収録されている。
・アルバム『SCENEⅡ』
・シングル『UNI-VERSE』ライブ録音
・アルバム『BOOKEND』リメイク

SCENEⅡ版しか知らない人にはぜひ他バージョンもオススメする。私は『BOOKEND』のリメイクが最も好きだ。

 

***

 

 

先にも触れたが前提として、この曲は光GENJIへの提供曲であること。デビューから4年目の8thシングル『荒野のメガロポリス』のカップリングとして収録されている。
宝物はいつでも壊されそうで怖い の名フレイズは『ガラスの十代』の伝説のサビ壊れそうなものばかり集めてしまうよに通じるものがある。『荒野のメガロポリス/PLEASE』には基本的に光GENJI用の繊細な少年たちのイメージが踏襲されている。しかし四年目で人気に陰りも見えた頃、そこには多分に戦略性があるはずで「そろそろ光GENJIのイメージ変えていきたいんでよろしく」みたいなオーダーだったかもしれない。それにしても賛美歌というのはかなりの変化球だったと思われるが。同時期のチャゲアスの曲として『PRIDE』『心のボール』も賛美歌風の荘重な曲であり、ASKAのマイブームだったのかもしれない。

 

『荒野のメガロポリス』と『PLEASE』の内容は陰陽とも言うべき対の構造を持っていて、同じ世界観を描いている。
荒野のメガロポリス

それは
世界の終末
である。荒野のメガロポリスとは人心の荒れ果てた未来の都市の謂いであろう。80年代後半はこの世の終末感を煽る物語が流行った。『ブレードランナー』や『AKIRA』、『ラピュタ』などのイメージがそれである。
アイドルって意外と人生とか人間とか人類愛みたいな大きいテーマへ行く傾向はある、かな?『世界に一つだけの花』のような。だから光GENJIに世界の終末を歌わせるという発想も意外と不自然ではない、かもしれない。まぁ当時どう受け止められたかは知らないけども。
しかし『PLEASE』は戦略的に作られた曲かもしれないけれど、今、核戦争に日本が巻き込まれても何ら不思議ではない時節になり、この曲がずいぶんリアルになって来たとも感じる。やはりこの曲にはすごく大きな力がある。

 

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【モチーフ】キリスト教

 

この曲は明らかにキリスト教をモチーフにしている。例えばこんなフレイズが散りばめられている。

神様
愛と勇気と希望と
背中の羽

これらのフレイズはキリスト教のアイテムと言える。

先述の終末観にしてもそうだ。キリスト教では「この世の終わりにキリストが再臨する」という考えが根本的にある。未来は破滅的に暗いが、どん底まで行った瞬間に大逆転で天国が現れるという。ちなみにトランプ大統領は狂信的な一面もあって、天国を現出させるためにわざと破滅的行動を取っているという都市伝説もあるそうだ。

その他、この曲に現れるモチーフを分解してみよう。

 

・PLEASE

私の友人によれば、アメリカ人のクリスチャンは祈るときには「thank(感謝)」を基本とし、自力ではどうにもならないことは「Please ◯◯」と祈願するそうだ。祈願するにしても内容は個人利ではなく「恵まれない人々に愛を」とか、大きく他者のために祈るそうである。その点、この曲にピッタリだ。人類がやさしさを失くさないよう祈るのだから。

 

・神様

もしも僕たちがやさしさ失くせば 今度ばかりは神様 あなたのミステイク

 

『迷宮のReplicant』の項に詳しく書いたが(http://nobodybutyou.asia/archives/1807)、ASKAには「人間は造物主につくられた」という観念があるようだ。人類の始原に人格神を想定するのはやはりキリスト教。『PLEASE』でもその世界観が濃厚で、今後人類が「やさしさ」を失くすとしたら、それは造物主のプログラムがミスだったのだと。

 

・愛

別の友人が教えてくれた。キリスト教は愛を非常に大事にし、信仰より愛が大事なくらい、とのこと。新約「コリントの信徒への手紙」の一節。

“愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
…中略…
それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。”

だそうだ。愛はいつまでも残る。まさにこの曲の背骨。
では愛とは何か?上記を咀嚼して読むと、愛とは要するに「見返りを求めずに与えること」のようである。仏教で言うところの慈悲、儒教で言うところの仁義であろうか。恋愛と混同するとややこしいけれど、本来は恋と愛は別次元だろう。なんか中学生の時にこんな議論をしたような気もするけど。

 

***

 

【テーマ】愛=やさしさ

 

モチーフをキリスト教に取りながら、描くのは愛。ではこの曲では具体的にどんなことを愛と呼ぶのだろうか。

 

もしも僕たちがやさしさ失くせば今度ばかりは神様 あなたのミステイク
↕︎
どんな時代が来ても人は愛を生み続ける

 

という構造上、
「愛=やさしさ」
と読める。

キリストの愛は、見返りを求めずに与えるもの。それを短く言うと「やさしさ」になるのではなかろうか。
「やさしい」や「やさしさ」というフレイズは他のASKAの曲にも溢れていて、列挙しきれないくらいある。ASKAにとって「やさしい」ことはとても大事なことのようなのだ。

http://www.chage-aska.net/discography/music/2009M024
これは『世界にMerry X’mas』の本人解説。ここでも「やさしさ」の意義を語っている。

 

もっと突っ込んで言うならば、「世界が終末を迎えてもやさしさを持ち続けた人は天国に行ける」というキリスト教の終末思想が『PLEASE』の根底にあるのではないだろうか。神様や羽といった付け焼き刃のフレイズで歌詞を彩るだけでなく、本質的な意味でもこの曲はキリスト的なのではないかと私には思われた。

 

 

***

 

以下は余談なので読み飛ばしていただこう。

私の体験。ちょうどライブ盤PLEASEが出た頃に親友が脳腫瘍で倒れた。大病院の個室で、大量の管が繋がれ言語を失った友を見舞ったあと、涙に暮れながらこの曲をひたすら聴いた。

愛を投げましょう 夜を止めましょう 未来の鍵は神様 あなたのエスコート

極限状態だからこそこのフレイズがしみて仕方なかった。愛を投げればこの哀しい時間を止めることができるのか?愛を投げるって何だ?できるものならやってみたい・・・そうか、無力なおれにせめてできることとは、やさしい気持ちを奴に投げ続けることなのか、などと考えた。そうすれば友の慰みになるだけではなく、自分もこのたまらない時間を過ごせそうな気がした。

やさしい気持ちを持てた瞬間の人は、何は無くともすでに幸せじゃないだろうか。たとえ近親者を亡くし絶望の淵にいたとしても、その人との日々を思い出しやさしい気持ちになれた瞬間だけは、幸せではないだろうか。
やさしさ=見返りのない愛(以下、アガペーと略)というのは道徳的にどうこうではなくて極めて功利的な話で、アガペーを貰った人ではなくて出した人本人が最高に幸せになれるという理論ではないかと今では思っている。
私自身、10代20代は人の情けも知らない人非人だったが、結婚と子育てを経験して〈アガペーを出す瞬間〉というのが日常的に訪れるようになり、その浄福を今日も楽しんでいる。相手にたっぷりとサービスを施すわけだが、そこでは純粋に与えるから幸せなのであって、自分の利益を計算した瞬間、その幸せは魔法がとけたようにして壊れる。
仕事でも何でも、自分や自社の利益を忘れれば忘れるほど迷いは減り、楽しくなる。そして本当に他人のためになったとき、その仕事は狙わなくても勝手に利益をあげる気さえする。もしかすると世の宗教が「与えること」に重きをおく理由はこのへんの機微にあるのかもしれない。昔の行者は托鉢や乞食をしたが、それは自分が食べ物にありつくためではなく、一般市民に「与える喜び」を教える行為だったのではなかろうか。「与える機会を与える」という超高度なやさしさ。
まぁこういうプラグマティズムをのうのうと述べてしまうあたり、私は相変わらず愛から程遠く罪深き人間に違いない。しかし率直に思ったことであるし何処かの誰か一人くらいには刺さりそうな気もする。そうであれば書き残す意義も幾らかはあるに違いない。私の愛はマニアックなのだ。

 

最後に。今回の記事は読者さんとのメールのやり取りで出来上がった。私が三年前に書いたものが刺さったという稀有な女性で、キリスト教に明るく、私が愚問を重ねたところとても丁寧にお答えいただいた。今回の記事内容の7割がたはその方の示唆から成り立っている。刺激的な時間をありがとうございました。

 

(2017/12/22)

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