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君と春が来る

17年 作詞作曲:ASKA

 

歌詞

 

最新アルバム『Black&White』は傑作でどの曲も甲乙つけがたいが、私の一番のオキニは『君と春が来る』。ほのぼのとしたラブソングだが、私はなぜこんなにも胸を震わせてしまうのだろうか。その理由を考えてみた。

 

まずこの曲は当サイトで言うところの〈桜上水の恋人〉シリーズだ。(参考記事)
近作では珍しくなった同シリーズだが、やはりお家芸とでも言おうか、圧倒的な臨場感でリスナーを感動の渦に放り込んでくる。屋号を叫びたい衝動に駆られるほど、安定の十八番だ。

この曲を〈桜上水の恋人〉とする理由としては

 

・「部屋」が舞台
・他の〈桜上水の恋人〉シリーズに見られるモチーフが散見される

 

部屋については前掲の参考記事にて詳述した。

 

モチーフのほうは例えば
①君が揃えてくれた ピカピカのコップ ダイヤモンドのように飾って

は『君の好きだった歌』の
いつの間にか君が使うコップや椅子が 僕の部屋の中決まっていった
に見られる。表現は違うが『no doubt』にも
僕のものを君が自分のもののように使うことが訳もなくうれしかった
という一節があり、家具を共有する喜びが描かれている。

 

 

②唇を重ねたら 夜と朝が来る

このような陶然とした夜を過ごすイメージも過去作にはあって
土曜の夜は朝まで君を抱く(『no no darlin’』)
朝も夜もない部屋(『HOTEL』)
あっという間に過ぎてしまう、幸せな夜の風景を描き出すときに用いられる表現である。

 

 

③僕の四角い部屋に 君と春が来る
春の暖かなイメージを恋に重ねるのはやや珍しい気がするが、同じ幸せな恋を歌った『B.G.M』の冒頭も
春を待つ朝の風がレースをゆらして 僕はまだ ずれた毛布引き寄せて 夢の中

『201号』には
いつか会いましょう 懐かしがりましょう 春のような 温もりでいましょう

とあるので、〈桜上水の恋人〉との幸福のイメージは春なのであった。

 

 

***

 

さて、これで終わってしまえば過去の焼き直しに過ぎないのだが、この曲の最大の特徴は恋の絶頂期を扱っている点にある。ASKAはひたすら失恋について歌い倒してきたことを私は何度も指摘しているけれど、〈桜上水の恋人〉に関する、こんなにも幸福な歌は珍しい。

 

もう一度歌詞を読み直してほしい。全編、幸せしか描かれていない。しかもスープとかチャイムとか扇風機とか、とても生々しい、ハッキリ言って実体験としか感じられないような表現で描かれる。
そして具体的な描写で臨場感を煽っておいて、サビでこれだ。

湖の白鳥が広げた羽のように 僕は君のこと抱きしめる

具体的な記述から抽象的な比喩へ飛翔し、そのために我々の想像も無限大に羽ばたいてゆく。どんなに大きな愛だったのだろう、と。

 

 

***

 

さて、この曲の凄みはこれでは終わらない。私はこの曲にとてつもない切なさを感じてしまうが、みなさんはどうだろう。なぜこんなにも幸せな歌を聴いて、私は切ないのか。

それは〈桜上水の恋人〉とは別れる運命にあることを知っているからだ。

 

こんなに君のこと 好きになってしまった

というフレイズからも感じられる通り、この曲は恋の初期段階を歌っている。この時点で私の想像上の宮崎青年は素朴な恋を味わっているのだが、こののち100曲近い曲で歌われるような、痛い終わりを迎えるストーリーも知らされているのである。これは強烈だ。私は数あるASKAの名曲群でもこんなに切ない思いをしたことはない。触れてはいけない、人の運命のヒダを見てしまったような、禁断の世界を見た気持ちになる。

 

『no doubt』では

僕らは夏の肌が消えるように別れた

とある。このイメージでいけば夏=別れであって

 

仕舞い忘れた扇風機を 部屋の隅っこに置いて また夏が来たなら回る 思い出すように

 

この夏はもう二度と来ないのであった。思い出すようにというフレイズからはやはり、悲劇の暗示が含まれているように感じられるのである。

 

(2017/12/13)

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