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アルバム『Black&White』

新アルバム『Black&White』の中の幾つかの曲に、共通したモチーフがある。難しい比喩でもないので、ほとんどの人が気付いていると思う。

 

【モチーフ】ネット空間での反応

 

これは前作『Too many people』でも見られたが、今回はより洗練されているのでまとめてみることにした。まずはモチーフを示すフレイズを抜き出してみよう。

 

 

世の中は実に興味深い 色んな人がひしめき合って 誰もみんな自分が正しい それぞれの道を今日も歩いてる(Black&White)


僕の話にも涙を流してくれた 僕の明日を信じてくれた
(同上)


心から言葉投げても 受け止められないことがあるもんさ
(同上)


YESだと言えば 必ずNOと答える どんな風に笑顔つくってみても
(同上)


解り合えなくて過ぎて行く人 見知らない顔で
(誰がために鐘は鳴る)


呼びかけてみよう呟いてみよう 僕は生きると
(同上)


生きてるっていうことは模様がいっぱい パソコンのキーを叩いて明日に追われる
(オレンジの海)


誰かがどこかで僕を笑い飛ばしている
(石の風が吹く道)


石の風が吹く道をカッコつけながら 掃除機のような音の吹雪浴びながら
(同上)


伝えたいことを口にすれば妙な風が吹く 安心と安全は本当に正しいか
(同上)


ハサミで切り取れるなら切り取ってごらんよ 僕の愛する人と繋がった手を
(同上)


なぜそんなに優しいのだろう 僕の胸は壊れたまま
(僕であるために)


今日もまたキツイ言葉 痛いことを言われてしまった 胸の中絡みついて逃げる場所も与えてくれない
(Fellows)


どしゃぶりの愛情は大粒に雨になって 僕の心の中を打ち続けた
(同上)


僕は座り込んだFellows 話に付き合うよFellows
(同上)


みんなに映った僕を今は認めよう
(同上)

 

 

ネット上の反応で深く傷ついた、という表現が多い。

Fellows」はファンクラブ名に採用されたことから、ファンを指す言葉だと思っていたのだが、歌詞ではむしろアンチ的なファンを指しているようである。話に付き合うよ=批判も受け止める、のことだと思う。

 

 

事件後のASKAの活動と言えば、何と言ってもブログだろう。はっきり言って世の中では、アルバムよりも何千倍も認知されている。そのブログをめぐる経験が歌詞に反映されているようだ。

また、自分のブログだけではなく、ASKAはどうやらエゴサーチをしているようで、マスコミのネット記事には誰よりも早く反応するし、コメント欄にもいちいち応える。最近できたFacebookにはこんな投稿もあった。
https://www.facebook.com/askaofficial/posts/1917132638613525
FacebookでASKAの活動を紹介していたページへの感謝らしい。

色々見ているようだから、たぶんウチも見ているのだろう。それは最初から想定している。

女々しい印象を受ける人も多いだろう。私もネット依存はメンタルに大きなダメージを刻むと思っている人なので、やめればいいのにと思っていた。
しかし、今作『Black&White』のアート性の高さを目の当たりにしてみると(詳しくはこちらを参照)、そんなことは小市民の考えに過ぎないと、にわかに考えを改めるに至った。エゴサーチなどという神経症的な行動も、ASKAという詩人のフィルターを通せば芸術に昇華するのである。我々凡夫が批判するのはまったくお門違いなのかもしれない。

 

〈ASKAとブログの関係〉について、私には実に興味深い
ASKAブログについて批判の声があまりにも大きいので(ファン層ではなく一般的に)、もう少し掘り下げてみる。

 

ハサミで切り取れるなら切り取ってごらんよ 僕の愛する人と繋がった手を(石の風が吹く道)
なぜそんなに優しいのだろう 僕の胸は壊れたまま(僕であるために)

 

といったフレイズに感じられるように、ASKAにとってネット上の好意的なコメントは生きる糧となっているようだ。たしかに昔からファンを大切にする人だった。「こんなにもたくさんの方々が、僕らを好いてくれるのが嬉しい」といったセリフも昔よく言っていた。
しかし事件後は好いてくれるどころか、大衆の無根拠な罵詈雑言に囲まれたわけだ。逆に言えば、ASKAはブログのコメント欄なしでは生きられないほど、自尊感情が弱まっていたのかもしれない。そりゃNHKのニュース7で流されるほど話題になった事件だ。かつてViewsの見出しごときで大騒ぎした「気にしい」のASKAが、耐えられるとは思えない。

 

 

以下は私の持論なので読み飛ばせばいい。
人には自尊心が絶対に必要である。メンタルに障害を持つ人は99%、自尊感情が猛烈に低いか、グチャグチャに歪んだ異常な自尊心に囚われている。健康的に生きようと思った場合、いかに自尊心を保つか気をつけるべきだ。(ちなみに皮膚感覚を刺激すると、深い自尊感情が湧き出てくる。男女のスキンシップ、ぶつかり合うスポーツ、温泉、マッサージなど)
「これを言ったら嫌われる」などと脅えて暮らしがちな日本人は、特に自尊感情が低い。自分よりも他人を尊重する、他尊の社会。言いたいことも言えないこんな世の中じゃ… まともではいられない。(「これ言ったらウケるやろな〜」と自分中心に考える大阪人は、メンタルヘルスが異様に高い)
ASKAも特に事件後は言動がいつも物議を醸し、疑心暗鬼になっていたと思う。一言で言えば、地獄

 

そんな中でブログのコメント欄というのは、泥沼の中に咲いた蓮の華とでも言うか、まさに仏の救いの手だったのではないか。コメ欄の人たちはASKAをほんとうによく観察しているし、全てを好意的に解釈する天使のようなコメントのオン・パレード。まぁ部外者から見ればそれが痛々しくもあるのだが…  しかし皮肉ではない。読みながら私も本気で感動することがある。人にはあれくらい〈全肯定される場〉が必要なのだ。ASKAには何よりの支えとなったことだろう。それが歌詞に現れていると思う。Black&Whiteの中で連呼する「ありがとう」と「ごめんね」が、最近のASKAを貫くメッセージなのだ。

 

ということで今回は
【テーマ】自尊心
とする。

 

 

いちファンとしての思いを最後に記しておこう。
ASKAにはブログを卒業してほしい。世間からの評判がよろしくなく、私は肩身がせまい

最初のほうで言ってたこととちゃうやーんと言われそうだが、そりゃやっぱ、こっちが本音です。

外の人と話してると感じるけど、みんな事件のことなど忘れている。でもブログのことは悪めに言われたりする。それがつらいのである。
今回素晴らしい作品を発表したのだし、この調子でいけばいつかまた世の中が好意的に振り向いてくれることは間違いない。5日前に私はそう確信した。世の中にアピールするためのブログはもう必要ないのでは?

会員制サイトを立ち上げるのならば、その隠された場所で好きに語るのはいいと思う。それならかつてステージで輪廻転生の話をしたのと一緒のことだ。
埼京線の車内で、大きな声で魂の話をする奴がいたら鼻白むでしょう?現状ではそれと一緒だから。オカルト話は麻布のレストランの密室とかで、分かり合える人同士で話すから楽しいのである。

 

(2017/10/30)

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