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Sons and Daughters 〜それより僕が伝えたいのは

’93年  作詞作曲・飛鳥涼

※歌詞は動画を参照

 

 

【モチーフ】子ども

【テーマ】命

 

 

ASKAが取り上げるテーマのひとつに「子ども」および「子ども時代」がある。

どの作品もインパクトの大きい感動作だ。
『心のボール』『Don’t Cry,Don’t Touch』『水の部屋』『クルミを割れた日』など。

 

そして今回取り上げる『Sons and Daughters 〜それより僕が伝えたいのは』。
これはタイトルからして、子どもへのメッセージソングとなっている。『息子と娘』というタイトルだが、93年時点でASKAは一男一女に恵まれている。実際の子育てを通じた体験談と思われる。
そしてこの曲、ASKA史上最高と言っても過言ではない、美しい歌詞なのだ。
さらに、アルバム『RED HILL』に載っている本人のコメントで「ボーカリストとして勝負したかった」とあるように、この曲はほぼアカペラだ。メッセージ性が浮き彫りになるような造りになっている。

 

では、どのようなメッセージが込められているのだろうか。この曲のサブタイトル『それより僕が伝えたいのは』。子どもたちに伝えたいのは何なのか。これは歌詞にハッキリと記してある。

まず『それより』とは何を指すか。

 

愛の強さ
恋の魔法
残した夢の続き

 

これらを特に伝えたくはない。これらは何を指しているかといえば、世にはびこるウソッパチであろう。世の中では(特に一般的な歌の歌詞では)愛、恋、夢が声高に(というか幼稚な表現で)叫ばれる。そんなものは、当の発信者でさえ半ばウソッパチと知りながら発信しているわけだ。

 

冒頭も強烈。

雨にも風にも負けない心で 涙も見せずに生きていくのは哀しい

これは宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ」を揶揄している。宮沢賢治は一般的に賛美されているので、冒頭の一発目から一般的な価値観の逆を言っていることになる。

考えてみればASKAは失恋の歌ばかり歌って、恋が成就する歌なんてほとんどないし、『太陽と埃の中で』では「追いかけて追いかけても掴めないものばかりさ」ときている。愛、恋、夢などの綺麗ごとに対するルサンチマンが、ASKAにはたしかにある。まぁ自分の身を振り返ってみても、失った恋のほうが美しい気はする。

 

では、それよりも、伝えたいのは、何か。

 

伝えたいのはあの日の夏
帽子の向こうで息を読まれては ひとり空に見送ったあの夏

 

 

あの夏を伝えたいと言っている。空に見送ったあの夏というやや寂しげな景色だ。例によって意味不明な比喩が、一層の謎を投げかけてくる。ただ既存の綺麗ごとではないのは確かであろう。

 

私は当初

帽子=剣道の面
息を読まれる=技を見切られる
見送った=試合での敗北

だと信じ込んでいたが、詳しい方がメールで教えてくれた。
あの夏とは、剣道ではなく、「取り逃がしたセミ」のことだと、ASKAがラジオで語っていたというのだ。「色々深読みさせてしまったようで、ごめんなさい」とのお詫びつきだったそうだ(^^;
たしかにPVでは虫取り網を振り回す情景が映されている。

この事実を知らされたとき、私は愕然とした。剣道なら「負けた悔しさをバネにして、もう一度ガンバロー!」みたいに綺麗に収まりがつくが、まさか虫捕りとは・・・

 

(余談ながら一言・・・ こういう経験が何回かあるので、どんなに深読みしたところで、作者本人が見ている世界と全然違うということは身にしみて分かっています。私が目指しているのは、作意に忠実な解釈ではなく、こう読めば一層おもしろくなりそうですよ、という提案に過ぎません。その割にいつも断定口調なんですけど)

 

かなり抽象的ではあるけれど、要するに色恋や仕事の武勇伝なんかではなく、自分が子どもの頃に感じていた素朴な感情を、わが子にも感じさせてあげたい。というようなニュアンスだろうか。これは共感する親御さんも多いかもしれない。

 

 

 

サビは一転して生命賛歌となっている。

 

風薫 海航 空翔(かぜかおる うみわたる そらかける)

 

字数から漢詩とは言えないけれど、漢字のイメージ性を利用した、空前絶後の表現。風、海、空いずれも無限大に広がる自然物を歌い上げることで、幼な子の命の伸びやかさを表現するかのようだ。
娘さんの名前が入っているのは意図的ではないかもしれないが、歌いながら娘を浮かべることもあるに違いない。

 

 

そして私が「ASKA史上最高」と位置づけているフレイズがある。

 

命の海に君を浮かべて 水平線の両手をまねて 君はいつでも知らん顔して ひとり夢の音域を

 

まったく意味不明だが、物心つかない子どもが、歩き回ったり(=水平線の両手)喃語を喋ったり(=ひとり夢の音域)するシーンかと想像する。これのなにが良いかと言うと、「まなざし」だ。この一節には我が子を通じて「命の不思議さ」を想う視点が含まれていると、私には感じられるのだ。

 

君を抱きながら 僕を抱いている いつか来た道で

 

わが子の顔や癖や性格が、自分に似ていることの驚き。自分も同じように親に抱かれて来た因縁。これも命の不思議だ。

誰にでも、ヒトの命を洞察する瞬間が、人生の間で何度か用意されていると思う。愛するものの死であったり、赤子の誕生だったり。生きていることの不思議さに電撃的に打たれる瞬間がある。私の場合は幼少の頃から連れ添った愛犬の死がきっかけだったが、そのときは愛犬の死を通じて逆説的に「自分が今ここに生きて存在することの不思議さ」をビビッドに感じてしまった。それはわが人生で1番の衝撃と言える体験だった。

私は「命の海に」の一節にそういった機微を感じて、途方もない荘厳な気分になるのだ。この世の裏側を覗くような、非日常の気持ちになる。その領域まで持って行ってくれる表現を、あらゆる芸術ジャンルを通じて、これ以外に知らない。この曲を聴いているといつもこの部分で、鳥肌くらいでは済まない状態になってしまう。

この曲はタイトルどおり「子ども」がテーマの歌なのだけど、全体の構造としては「子ども」の奥に「命」が大テーマとしてあると思う。子どもを通じて命を見ている。その壮大さを踏まえ私は「ASKA史上最高の歌詞」と賞賛したい。

もっと広まるべき「隠れ名曲のチャンピオン」だと思う。

 

 

 

 

ところで、結婚式でチャゲアスの曲をかけたという人はゴマンといるだろうけど、私はこの曲を使った。ライフヒストリー映像のバックとして。非常にマッチするので、これからの人にはオススメします^^

義兄の男泣きは、この曲の力によるものだと信じている。

 

(2017/07/25)

 

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