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と、いう話さ

作詞・作曲:ASKA(’17)

歌詞

 

逮捕後第1作となるアルバム『Too many people』。私は総評として「歌詞に不満」ということを書いた。事件からの影響が濃厚すぎて、歌詞から身辺の状況が透けて見えてしまうのが私にはつらかったのだ。
しかし。『と、いう話さ』は違うのであった。この曲においては事件が芸術に完璧に昇華されている。
どういうことかと言うと、つまり詞が意味不明なのだ。中身を深読みするとどうも事件がらみの内容のようだが、その表現が抽象的な比喩で一分の隙もなく全面コーティングされているので、よくわからない。
そしてずっと私が言い続けているように、この〈意味不明〉こそが詩人・飛鳥涼の最大の魅力であり、誰にも真似できない唯一無二の個性なのであった。実際にこの曲は有無を言わさないほどのカッコよさに満ち満ちているではないか。

ここではその比喩を剥ぎ取って、ASKAが何を言わんとしているかを探ってみたい。

 

まずタイトルの『と、いう話さ』。上述の通り歌詞が意味不明なので、リスナーに「で、どういう話だったの?」と言わせる効果を持っている。ここにASKA一流の韜晦が入っている。

叙情性を排して事物の描写に徹する文体を文学用語で〈ハードボイルド〉と言うが、今作にはハードボイルドの要素がある。嬉しいだの悲しいだのということばはないが、名詞で埋め尽くされている。それも自然物を多用。以下に自然物描写を抜き出してみよう。

 

海、砂漠、ジャングル、鳥、虫、貝の殻、耳、潮騒の音、風、小石、夕暮れ、影、夏、彗星、空

 

こんなにもたくさんある。以前にも指摘したが、ブログで公開している散文詩でも花鳥風月を多用する作風が見られており、これはASKAの新境地である。詩人に起こりうる変化として、特筆に値するだろう。

 

では、ASKAはこの比喩の連続を通して何を言わんとしているのか。
結論から書こう。

モチーフ】窮状の中で希望を見た
【テーマ】守ってくれるファンの存在

と、いう話。

 

様々な比喩表現があるが、丁寧に追っていくとそれはふたつの属性に分類が可能である。それはAメロに出てくる〈愛だとか罪だとか〉。これを敷衍して、ここでは〈窮状〉と〈希望〉とする。こうすると読める。ふたつの要素を以下に抜き出してみよう。

 

窮状
海で溺れて砂漠で乾いて都会のジャングルで叫ぶ
空しい野望 美しい絶望

壊されて溶けていった頭の中で消えたものがある

 

希望
想像よりは高くは飛べない
それを包む愛情
時計の針が前に進めば時間となってゆく
潮騒の音が聞こえる
影が少しづつ浅くなって薄らいだ

 

特に一番では

こんな窮状はあったが→こんな希望もあった。

という文脈で埋め尽くされている。
窮状とは事件にまつわるもので間違いないだろう。そして二番で明瞭になるが、そこから救ってくれたのが女の優しい眼差し。とは何か。

 

=ファン

 

この例えは他の曲でも出てくる(『群れ』など)。この曲の隠されたテーマは、ファンへの感謝だと私は解釈したい。

 

痩せたフレーズでも優しい眼差しをしてくれる
=低劣な報道がされても、ファンのひいき目がある

 

心にレントゲンを透かしてる
=X線ばりに、オレの気持ちを透視して慮ってくれる

 

こういったファンの優しさに触れ、絶望の淵で希望を見出した。

 

そしてサビ。1番。

紙が風に飛ばされぬよう小石を乗せ続ける夢を見た
紙=破れやすい夢。吹き飛びやすい誇り。などであろうか。そういう大事なものが飛ばされないように、小さな希望を積み上げていくと→

 

影が(略)薄らいだ
=最悪な気分もやわらいだ。

 

2番。

壊されて溶けていった 頭の中で消えたものがある
=ファンの頭の中で、報道によってイメージが崩壊した。

 

彗星の軌道をして 慣れた円を描いて戻って来る
=変則的ではあるけれど、前の姿でカムバックしてやるぞ
(参考:彗星の軌道。大きな楕円を描いて、折り返し点まで行ったあとに一直線に戻ってくる)

 

悪戯の紙飛行機 空を舞う

=流言飛語は気にしない

 

 

以上。激しい曲調で感謝というテーマを隠すという、多重構造の比喩を私は見出す。新種の照れ隠しだ。

そして自分が世の中に大きく打って出て健在をアピールすることが、ファンへの何よりの罪滅ぼしであり、ASKA流の謝罪なのではないか。この曲が大きな話題になることを祈る。

 

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