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僕はMusic

作詞:松井五郎、ASKA   作曲:ASKA

 

歌詞はこちら

 

とても不思議な曲。曲調はめちゃくちゃポップなのに、歌詞が神秘的だ。私は昔からこの手の神秘系の曲に目がない。2000年代に出されたシングルのうち、私はこの曲にもっとも心動かされた。たしか一回もテレビは出てないはず。もったいないと思った。
とか試されてるとか出てくる一方で、誰もしないkissをしようなどと甘いフレイズも。こういう揺さぶりがASKAの真骨頂だと思う。

 

ただし作詞は松井五郎との共作である。2000年代以降、ASKAは作詞の面で不振だったようで、アルバム『not at all』以降たびたび松井を起用している。松井五郎はデビュー当時に使っていた作詞家で、2001年に突如再起用された。プロらしく耳ざわりの良い言葉を紡ぐ。一般的には安全地帯の作詞家として知られるだろうか?作風もASKAと親和性が高く、例えば『熱風』(1980年)の世紀末っぽいカタストロフな雰囲気はとてもフィットしている。要は、スピリチュアルっぽいのも書けるということ。

 

 

『僕はMusic』において、どの部分がASKAでどの部分が松井か、考えてみるのも一興だ。例えば、〈キレイにまとまってるのが松井〉〈わけわからんのがASKA〉としてみたらどうだろう。以下、紫が松井、緑がASKA。

 

大事に育てる悲しみもある 乱暴に壊す幸せもある 嘘もつく罠も張る 誠実に騙す神もいる
まちがいもAll right
ゼロは越えられない
星が鳴るような 誰もしないkissをしよう
つまづく誰かに差し伸べた手に きっと自分も救われてる

以上、深そうだけど妙に耳ざわりがいいので松井と推測。

 

 

他人の言葉に感じたがるのは自分の中にも心があるから
欠けゆく月にロープを投げりゃ 歌もやがて見えてくるだろう
あふれそうな水になにを沈めよう
真夏の光で洗った靴と見えない道を夢中で走った

 

以上、意味不明なのでASKA笑。こうやって並べてみると、全然手触りの違うフレイズが同居しているのが分かる。まぁ根拠薄弱きわまりないけれど、こういうことを考えるのは楽しい。ある意味、この曲に含まれる大きな喜びかもしれない。

 

 

さて、最初にも述べた通り、この曲は神秘的だ。Way for right とは、宗教的なフレイズである。Right(正義あるいは涅槃)への歩み。それがDay by Day(日々)完成に近づいている。なにかをわかりかけてる。

 

そして、この曲の【テーマ】は善悪二元論。ゾロアスターの昔からある、宗教的な命題である。

善悪二元論とは、善と悪を峻別することでより良く生きようとするコンセプトのこと。現代社会では消えかけている概念だ。現代はものごとをひたすら相対化し、「私とは違う考えだけど、あの人がそう考えるのも許そう」とするのが美徳。ヒラリーが好きな人もいれば、トランプが好きな人もいる。それぞれの立場の人が、自分は正しいと信じ、情報発信までする。人々もそれを受け入れる。これが相対化された社会。

 

一方、芸術や宗教は相対化はダメだと教える。善と悪は分けなさいと。神道には「右のものは右に、左のものは左に」という格言がある。悪いものは悪い、自分を騙すな。言うまでもなく、相対化された民主主義よりも、善悪二元論のほうが厳しい世界観だ。なぜなら悪を見抜くセンスが必要だから。この曲のとおり、世の中には正義っぽい悪は山ほど存在する。神道では邪霊と聖霊を見分ける霊能者を審神者(サニワ)と言う。誰でもが審神者になれるものではなく、ハイレベルな存在である。

余談ながら、最近は相対化にウンザリした人々も増えているようだ。正しいものを正しいと言おうよ!ムーヴメントがある。でもそれは、何が正しいかを正しく見抜くセンスが必要なことに要注意。

 

さて、この曲のフレイズはの要素に分けることができる。

 


他人の言葉
欠けゆく月
あふれそうな水
試されている
大事に育てる悲しみ
乱暴に壊す幸せ
嘘もつく罠も張る誠実に騙す神もいる

 

このようなフレイズで負のイメージを煽っている。

そして、善悪二元論の真骨頂はここからだ。ただの両論併記ではなく〈悪の力を利用して、己れを善に導いていく〉のである。失くしてみて初めて親のありがたみが分かったり、海外に滞在してみて日本のよさを知ったり、雨降って地固まったり。負の体験があるからこそ、善なる存在に気づくことができる。気持ちいい体験よりもむしろ、負の体験を大事にすることが善悪二元論の要諦。
この曲でも〈負の力を利用して、善に向かおう〉とする構造が見られる。

 

 


欠けゆく月→にロープを投げりゃ歌もやがて見えてくるだろう
(つまづきは)どこにでもある誰にでもある→だから響き合うって信じてみたい
つまづく誰か→に差し伸べた手にきっと自分も救われてる
まちがい→もAll right
失くして→もAll right

 

いずれもつまづきや失敗もOK、というニュアンスである。

そして、悪を超越し善に到達した境地を示すフレイズも用意されている。

ほんとにここには何にもない ただ真っ白な想像しかない
はじまりは終わらない
ゼロは越えられない

たとえば禅や道教では、人間の理想型は赤子だとされる。赤子は無心だから。泣き喚いたりイタズラしたり、悪も平気に行うけれど、そこに罪はない。むしろその悪は親を成長させる要素を含む。無邪気であることが尊いとする世界観は、東洋に独特に存在する。
その赤子のような世界を真っ白な想像はじまりゼロなどで表現していると私は考える。

 

そして僕はMusic という摩訶不思議なフレイズ。ASKAは音楽にこそ涅槃の世界を見たのだろう。この時期、「この世に音楽が存在することへの感謝」をしきりに口にしている。音楽を奏でれば「想いが伝わっていくのがわかる」とのこと。

誰もしないkiss とは官能的な話というよりも、涅槃寂静の世界のことじゃないだろうか。

 

 

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