ASKA 非公式ファンサイト

ASKA・著『700番 第一巻』レビュー

2016年1月9日に公開され波紋を呼んだブログ記事の書籍化。「加筆修正をしたもの」とただし書きがあるが、ほとんどそのままであった。あらためてブログを再読してみて、検証したところ、

 

【加筆】

・韓国ライブ→記者会見のとき、慰安婦問題について質問されたときに答えたセリフが加わった。(「高句麗、新羅、百済に分かれた戦国時代には・・・」というたとえ話)
・文春の中村竜太郎の著書『スクープ!』について
・そのほか、細かい表現がいくつか

 

【削除】

・リアルキャスト解散について
・睡眠薬?GHBについて
・フレキシースパイA、スパイフォン
・配達員を名乗る盗聴集団からの電話
・IT企業代表の引退宣言の内容
・ぎなた読み
などが削除されている。

 

削除部分については、盗聴集団の具体的活動について触れた部分が多く、読者からすればそこが一番おもしろいはずなんだが。

 

本書を読んで一番思ったのは
〈書き手の才能は、編集者によって潰される〉

 

上記の通りブログで興味を引いた、犯罪の具体的記述が一部、カットされている。社会通念上いくらか問題があると思っての削除かもしれないが、こんな本を出す時点で「そんなの関係ねえ」状態じゃないのか。やるならとことんやりなさいよ。ASKAの盗聴被害に対しては「そこまで言うなら証拠を出せ」という声が多いのだ。証拠というのは加筆こそすれ、削除したらダメじゃないか。

そもそもだが扶桑社は、500万ビューあったというブログをそのまま本にして売れるとでも思ったのか?誰が買うんだよ。この本はファンでも恐ろしくて買わないぞ。だとしたら大衆にアピールするしかないと思われるが、ブログそのままだったら誰も買わないじゃないか。帯の文言もテキトーだし、編集者の気合いがひとかけらも感じられない。ちゃんと読んだの?

『第二巻第三巻』『第一巻』両方について言えるのは、扶桑社はASKAの言いなりという印象。おそらくアプローチをかけた複数の?出版社は「自伝を」というオファーだったと思われるが、ASKAはそれでは納得しなかった。扶桑社だけが唯々諾々とASKAの主張を呑んだと私は想像する。私は二冊を読みながら、出版社としてのプライドの低さが目についてしょうがなかった。

 

要するに、売り出し方が間違っている。私が思うASKAのあるべきイメージはこうだ。
〈かつて世界を制した偉大な歌うたいが身をやつし、薬物や女など放蕩の限りを尽くし身の破滅を招いた。言いたいことを言い、それがために波乱万丈の人生を歩む、現代では稀有な詩人〉

たとえばASKAが愛読したというフランスの詩人、ヴェルレーヌは以下のような人生を歩んだ。

 

(1844-1896)高踏派の強い影響下に出発したが、やがて独自の音楽的手法を駆使した斬新な詩的世界を確立し、フランス象徴主義の代表的存在とされる。終生飲酒・放蕩の悪癖に悩まされ、ランボーとの同性愛事件では2年間の獄中生活を送ることにもなった。後に文名ようやく高まり、いわゆるデカダン派詩人たちの精神的支柱ともなったが、実生活では梅毒性疾患のため施療院を転々とする晩年だった。(新潮文庫より)

 

これを読んでも、コイツ最低だなとは思わないだろう。むしろ作品の価値を上げるくらいの力がある。ASKAも50年後にはこんな感じで評されるのだ。

扶桑社はイメージ戦略がまったく描けもしないままに、こんな奇書を世に送り出している。これは売れない。読者不在という印象があまりにも強い。

 

ただし、いつも通り私は最後に持ち上げるのだが、700番第一巻は観点を変えればアートだと思う。読み物としておもしろくない、しんどいといったことも含めて、ASKAの魂の叫びであることには間違いない。〈放蕩詩人としてのASKA〉という観点からすれば、本書は記念碑的大問題作。扶桑社のクソっぷりも含めて悲劇だし。皮肉ではなく、そう思う。そして私にとってそれこそが本書の価値なのであった。

 

追・一連の西本和民の写真も異様だと感じる。『ももち浜』や『音楽と人』ではいい顔で映っているのに。

 

‹‹一覧に戻る