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What is CHAGE&ASKA ? (日本語)

【歴史に残るスーパースター】

CHAGE&ASKAは1990年代に日本国内はおろか、東アジア全域で圧倒的な人気を誇った歌手である。その人気ぶりを記録で評価してみよう。
まず、国内でのレコード・CDの総売り上げは31,400,000枚。これは日本人ミュージシャンとして歴代12位である。CHAGE&ASKAはこれに加えアジアでのセールスもある。カバー曲は数知れず、大ヒットした作品も数多くある。1994年から96年には大規模なアジアツアーも開催。中国、台湾、香港、シンガポールなどを巡業する。これは日本人ミュージシャンによるアジア進出の草分けである。その後も定期的にアジア各国でコンサートを行なっている。このようなアジアでの大規模な活動が評価され、96年にはロンドンにてMTV UNPLUGGEDに出演している。欧米で放送されるMTVに出演したアジア人は、CHAGE&ASKAだけである。
日本での売り上げ新記録を二度、樹立している。いずれもアルバムで91年『TREE』が2,300,000枚、翌92年『SUPER BEST Ⅱ』が2,600,000枚。CHAGE&ASKAの日本での人気のピークは、91年から93年頃であった。日本で社会現象となるほど流行った歌手は何人か挙げることができるが、間違いなくCHAGE&ASKAもその1組である。

CHAGE&ASKAのもっとも有名な曲を二曲、紹介しよう。

 

“SAY YES”


1991年に発表されたこのロマンチックなバラードは、視聴率40%以上を記録した大人気テレビドラマ『101回目のプロポーズ』に使われた。13週間連続1位、280万枚を記録し、シングル売り上げとして歴代7位。CHAGE&ASKAのもっとも売れた曲である。この曲をきっかけにCHAGE&ASKAはスターになった。

 

“YAH YAH YAH”

1993年のエナジーあふれるこの曲もまた、ほとんどの日本人が知っている。カラオケの定番中の定番である。この曲ではサビに歌詞がない。”YAH YAH YAH”と叫んでいるだけである。さらに”あいつを殴りに行こう”という過激な歌詞も話題を呼んだ。誰もがこの画期的な試みに驚いたのだ。この曲は230万枚を売り上げ、ふたたび社会現象となる。ちなみにこの当時CHAGE&ASKAは35歳で、こんな元気な曲を歌っていることが信じられない(^^;
なおダブルミリオンのシングルを二曲持つミュージシャンは、CHAGE&ASKAとMr.Childrenだけである。

 

J-POPの90sを知らない人もいるだろう。ここで比較対象として、CHAGE&ASKAの他に90年代に社会現象となったミュージシャンを紹介しよう。それによってCHAGE&ASKAの個性がより正確に分かるはずだ。以下、流行が発生した順番に並べる。

 

X-JAPAN

 

CHAGE&ASKA

 

Mr.Children 

 

 コムロテツヤ(プロデューサーとして)

 

GLAY

 

 

ウタダヒカル

 

音楽ファンのみならず、”お茶の間”を熱狂させたミュージシャンたちだ。なお、この中でもっとも海外進出に成功したのはCHAGE&ASKAである。

 

 

 

SAY YESとYAH YAH YAHを含む、89年から94年頃の活動はCHAGE&ASKAのハイライトだ。この頃のパフォーマンスはパーフェクトと言える。私のwebsiteでは特別にセレクトした動画を紹介している。上記のメニューからVideo Selectionをご覧いただきたい。

全盛期のCDアルバムは”PRIDE”,”SEE YA!”,”TREE”,”GUYS”,”RED HILL”。これらのCDは必ずあなたに感動と興奮をもたらすだろう。

 

 

 

【変遷】

次に私が紹介したいのは、CHAGE&ASKAの音楽の変遷だ。CHAGE&ASKAは変化し続けるミュージシャンである。時代によってまったくスタイルが異なる。たとえばこれを見てほしい。


これは1979年のデビュー曲”ひとりざき”。日本の大衆演芸”演歌”のスタイルとフォークのスタイルのミックスと言われ、とてもユニークな存在としてデビューした。なお、演歌とは以下のような音楽である。

 

ちなみに”ひとりざき”と同じ年に、あの有名なYellow Magic Orchestraも活躍している。79年頃の日本の音楽シーンは、電子音楽の黎明期でもある。CHAGE&ASKAがどれだけユニークか確認してほしい。

 

(Yellow Magic Orchestra )

 

(サワダケンジ)

 

 

80年代半ばから90年代半ばは、序盤で紹介したようなポップスの王道を歩んだ。

 

 

そしてデビューから約20年後、CHAGE&ASKAはロックをやっていた。

 

(ASKA / tattoo)

信じられないようなシャウトを披露している。97年から99年、CHAGE&ASKAはロックに転向した。

 

(ASKA / ID and ONE)

 

(ASKA / つきがちかづけばすこしはましだろう)

 

(CHAGE&ASKA / このあいのために)

私はこの頃の活動がもっとも好きだ。CHAGE&ASKAのロック路線がとてもすばらしいことを強く強調したい。この頃のCDアルバムは”ONE”、”kicks”、”2nd”、”NO DOUBT”。どれも私の宝物だ。2000年以降はふたたびポップスに回帰する。ロックがファンから不評だったためと思われる。

 

(CHAGE&ASKA / 鏡がうつしたふたりでも)

 

(CHAGE&ASKA / ぼくはMusic)

 

 

 

背景
次に日本のマニアしか知らないCHAGE&ASKAの背景を紹介したい。
動画を見ると感じると思うが、ASKAのリズム感や運動神経はとてもすぐれている。じつはASKAは”剣道”の達人なのである。

 

中学・高校時代には日本でトップレベルのアスリートだった。そのままいけばASKAは剣道選手として有名になったのかもしれない。しかし神は彼にそうさせなかった。高校のときに札幌から福岡へ転校する。福岡の監督は、ASKAを試合に出さなかった。ASKAはそれを嫌い、剣道をやめることになる。そして剣の代わりにギターを手にしたのだ。私たちはこの監督に感謝せねばならない(^^)
コンサートに参加した人は知っているが、ASKAの声は信じられないくらい大きい。これも剣道で鍛えた肺活量のおかげなのだ。また、剣道では試合中に高い声を出すので、それも歌に影響を与えているかもしれない。
CHAGEとASKAはその福岡の高校で出会う。CHAGEはビートルズに、ASKAはイノウエヨウスイに憧れていた。

(イノウエヨウスイ)

 

はじめは別々に活動し、アマチュアのコンテストに出てそれぞれが活躍していたのだが、プロになるに当たって、地元のプロモーターが二人を組ませた。当初はCHAGEのほうが評価が高かったようだ。じきにASKAは作曲面で頭角を表し、デビュー時点ではASKAがリーダーシップを取っている。その後はシングル曲51作のうち、46曲がASKAの作曲だ。CHAGE&ASKAは作曲したほうがメインボーカルになる。だからCHAGE&ASKAといえばASKAがメインボーカル、CHAGEがハーモニーという確固とした印象がある。

実際のところ、CHAGE&ASKAのCDを買った人のうち、99%がASKA派だった。CHAGEはコーラス担当、あるいはギャグ担当と見なされた。しかしASKAひとりでここまでのスターになれただろうか。答えはNOだ。それは誰もが認めるだろう。ASKAは冗談を言った。「自分だけではできなかった。でもCHAGEだけだと、もっとできなかった」。これは日本人なら誰もが笑うユーモアだ。CHAGE&ASKAという二人組でしか出せない、強烈なオーラが確かに存在する。

なおCHAGEという名前は日本人にとって、とても奇妙な響きである。コミカルな雰囲気がする。一方、ASKAという名前はとてもハンサムである。まったく関係はないが、日本の7世紀は「アスカ時代」と呼ばれている。当時の首都がアスカだった。アスカという名前に、日本人は郷愁とロマンを感じる。”ちゃげ・あんど・あすか”という名前はとても不思議だ。この名前が世の中に一定のインパクトを与えていると思う。私はこの不思議な言葉を口にするのが、本当に好きだ。なお日本では一般的にチャゲアスと略称で呼ばれる。

 

 

 

【近況】

残念ながらCHAGE&ASKAは2000年以降人気が低迷する。コンサートは毎年50~70本こなし10万人近い動員を誇ったが、その活動が一般的に知られることはなくなった。ASKAの声が出なくなった時期もある。そして2014年、ASKAが違法薬物使用のために逮捕された。衝撃的なニュースとして、日本中が大騒ぎになった。日本では違法薬物のイメージがとても悪く、世論はASKAに厳しく当たった。
2017年、事件以後はじめてのアルバム”Too many people”を発表。今後の活動が注目される。

 

 

 

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